まえおき
お笑い成人向けです。
飯Pカカベジです。カカベジはnot18禁。




あいつが半径百メートル以内に入ると
口の中に涎が沸いてうっかりすると端っこから滝みてえにこぼれちまうから
これはきっと


two on two 1



「滝のところは星屑の方がいいですね」
昔ブルマが口ずさんでいた十数年前の流行歌を、悟空は息子の部屋で口ずさんでいた。ベッドに寝転び小難しい専門用語の立ち並ぶ専門誌を捲りながらの歌は、微妙にアレンジが効いていた。悟飯はそのアレンジに対してコメントをし、また自分の原稿に赤を入れる作業を始めてしまった。
悟空はベッドの端から上半身を乗り出し、カーペットと平行になった。ついでに読んでいた本を目の高さに持ち上げる。彼の腹筋と背筋はその程度ではびくともしない。
「なあ悟飯、かじりてえんだよ」
「お父さんげっ歯目だったんですか?」
奇しくも哺乳類の進化図が描かれているページを両腕を伸ばし眺めていた悟空は、しかし学術上の分類など分かるはずもない。一生歯が伸び続ける種類の動物も知るはずもない。
悟飯は分かっていながら、背後のベッドに再びダイブし、ごろごろする親父に上の空で突っ込みを入れた。
気のない合いの手の理由は一つ。レポートの推敲が終われば、悟飯は蝉のオーケストラの真っ只中に飛び出すことが出来る。自由の身へのその焦がれ具合といったら、蝉の音波が木々に弾かれるのを目視できるほどだろうと思われた。そして、緑は緑でも悟飯にとってはただの緑ではない人を、見つけるのだ。
悟飯は口許を撫でた。実際のところを言うならば、悟飯もまた、飢えていた。
「うーん・・・僕も齧りたいなあ」
「頭っからやりてえだろ?」
悟空はがばっと起き上がると、息子の同意に目を輝かせる。戦闘から身を退けている時の彼は、図体だけが大きい子供そのものだ。
悟飯は軽く肩をすくめる。この間、犬が交尾をする態勢そのもので、父親が「かじりたい」対象に圧し掛かったのを彼は目撃している。逆立った髪の首の後ろの生え際に、甘噛みにしては強烈に歯を食い込ませているところを、だ。重力室の無機質な床をばしばしと叩いて喚く「かじられた方」は、さながら獅子に食いつかれたサンショウウオだった。いや、修行後の二人分の汗が混じって濡れそぼっていたので、なんとなく悟飯はそんな光景を連想したのだ。
どうぞごゆっくり、と、学校近くの名物であるたこ焼きの差し入れを置いて、悟飯が退出したのは言うまでもない。
「そうですねえ。僕は頭というか、お尻辺りに噛み付きたいですけど」
「やっぱり頭だろ?顔見えるしよ」
「あの普段マントに隠れている魅惑の双丘を見てみたいのは、人として当然の欲求でしょう!」
「あーかじりてえ」
とうとう薄い割にはお高い専門誌を、悟空は団扇代わりにして仰ぎ始めた。やめてくださいよと抗議した悟飯も、やがて雑音と己の中の欲求、双方に終に陥落した。とっても暑いよ一時四時。空調などあるはずもないド田舎に位置する孫家は、朝と夕方が最も勉学に適した時間帯だ。
「じゃあ、行きましょうか。ちょうど今、ピッコロさんもブルマさんのお家にいる気配がしますし」
「すげえな悟飯、あいつ気ぃ消してねえか?オラも言われなきゃわかんねえぞ」
「お父さんだってベジータさんの気は分かるでしょう」
まあ、あいつ独特だしなあ、と悟空は頷く。悟飯は書類を纏めながら言った。
「僕も同じです」
そして、二人の黒髪の食欲の権化は、弾丸も真っ青な勢いで、辺り全てを発火させたがっているような、太陽の日差しの中へ飛び出していった。



ギャー、と、ベジータはらしくもなく叫んだ。
悟空から逃げに逃げ、ほうほうの態でたどり着いた静かな湖畔の水の面から、己の顔ではありえない、小さな顔が彼を凝視してきたからである。ベジータがナルシストの語源の美少年であったなら、心臓発作で死んでいたに違いなかった。ホラー映画ならば見せ場であろう画に腰を抜かさなかったのは、ひとえに彼の山よりも高いプライドの賜物である。
「だ、わ、きさ、」
「・・・おい、何を叫んでいる!」
水面が盛り上がり、海坊主のように顔が空気中に現れた。もう一度ベジータは、息だけでギャーと言った。
「だ、大丈夫か?」
「だ・・・」
大丈夫なわけがあるかこの水棲生物!とサイヤ人の王子は声の限りに知人を罵倒した。胸から下を水に浸した異星人は、ベジータの数少ない知人の一人で、だからこそ怒りが抑えきれないのだった。ピッコロからすれば大変に迷惑な話である。彼はこの広い湖に、文字通り息を殺して隠れ潜んでいたのだから。
「このクソ野郎が、喚くなと言ってるだろうが!」
「貴様ピッコロ、何をしてるってんだ!ひとりシンクロナイズドスイミングか、水遁の術か!?それともおたまじゃくしの気分でも体験しようって気か!」
「避暑だ」
微妙にバツの悪そうな顔でピッコロは言った。ベジータは無言で、ジーワジーワと蝉の鳴く深山の幽湖のほとりにひとり佇んでいたが、
「・・・なら、俺も避暑だ」
ぽつりとそう言った。
「いやお前は違かろう。何かに追われていたように何度も背後を振り返っていたぞ」
「・・・言うな。しかし、優雅に暑さを凌いでいるにしちゃあ、貴様もよく俺の様子が見えたじゃないか。空の様子を窺ってでもいたのか?
それにさっき俺に向かって何と言った。喚くなと言ってるだろうが、とか」
叫んだだろう。ベジータは落ち着きを取り戻し、ニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。長年まがりなりにも人の上に立ってきたせいか、ベジータの情報の統括能力はなかなかのものだ。パズルのピースを嵌めるのが上手いというところか。ピッコロは憮然とした表情でいたが、はっとしたように上空を見上げた。落ちてこないのが不思議なほどの積乱雲。明度をめいっぱい上げた突き抜けた青さの影に、ひとつのシミがあった。
「しまった!ベジータ、潜れッ」
「もが!」
足を引っ張られ、怪談よろしくベジータはピッコロに水中へと引きずり込まれる。一瞬表面が生ぬるいと思ったのも一瞬で、深みは随分と冷え切っていた。ピッコロはすいすいとベジータの片足を持ち、底へ底へと泳いでいく。さながら乱暴な亀と浦島太郎というところか。ベジータは転がっていた絵本のひとつを思い出すと、きんと静かな水の圧力の中、オーロラじみた光に満ちる水面を見上げる。
「!」
『静かにしろッ』
水が抉られる。一直線に、文字通り凹み道が生まれる。間違いない。水面ぎりぎりを舞っているのは、孫悟空の息子だ。
『静かにせんと水底の砂利に埋めてやるぞ・・・!』
頭に直接流れ込む音声は、体の一部に触れているからだろうか。足を振りピッコロの手から逃れると、ベジータは先刻とは少しばかり違う視線で隣の異星人を眺めた。幼魚の群れが彼の頬をかすめ、鱗を藍色に染め上げた魚が広がる白布を突付いている。
焦りに微細な慄きを交えた形相のピッコロに、孫悟空の息子、悟飯が懐いているのは、ベジータも知るところだ。泣いてばかりいる使えないカカロットのガキ、と評価したラディッツの言葉と、ナメック星での奮闘振りは、随分と異なっているように思えたものだ。ラディッツが間違えた訳ではない。悟飯が成長したのだろう。ピッコロが与えたすべてのものを賢い頭は吸収し、己のものとしたに違いなかった。悟飯は女性陣や地球人がいなくなると、よくピッコロの長身にくっついて甘えたものだ。その成長しきった掌が、どこを撫でていたか。仕草が淫猥と労わりの間を行き来し、最終的にどちらに傾いたか。不幸なことにベジータは知っている。悟飯はベジータには遠慮をしないからだ。
一方ピッコロも、ベジータの目線に気が付き視線を戻した。
危ないところだった。ここに潜んだのはひとえに悟飯から逃れるためだ。
ブルマの家にトランクスが忘れていった上着を届けに来たまでは良かったのだが、トレーニング中のベジータに会って行けば、とのブルマの言に答えようとしたところ、一直線にこちらに向かってくる気を感じたのだ。一番初めに頭に閃いたのは、のびのびと成長した悟飯であった。彼が前回己にやらかした所業をフラッシュバックさせたピッコロは、挨拶もそこそこに逃げ出したものだったが、そういえば悟飯に続いて悟空の気も並列してやって来ていたように思えた。
もしかすると、あの後悟空にベジータは何かしら、されたのかもしれない。でもなければ、ベジータが逃げるはずなどないのだ。
孫悟空のベジータに対する接し方は、ピッコロの理解の範疇を超えている。何かにつけ悟空を視界に入れずにはいられないベジータを、見ていないようでしっかりと見ている。そして体でぶつかってくる場合には、嬉々として迎え撃つのだ。何よりも、誰よりも優先する事項として。それこそ地球の安全よりも、それを上に置くことがある。孫悟空の人となりを良く知るピッコロには、信じがたいほどに悟空のベジータに対する優先順位は高かった。
恐らく、彼らの本性がぴったりと一致するからであろう、とピッコロは考えている。サイヤ人の本能を完璧に共有出来るのは、最後の純血種である彼ら二人だけの特権だ。言語化せず、激しい闘争心と矜持を分かち合える彼らは、正反対に見えて本当は誰よりも近しい存在なのかもしれない。
ただ、ベジータが戦闘行為だけを悟空に要求するのに対して、悟空は何か、少し違うものをぶつけているように思えた。
それが何かはピッコロにも分からない。ピッコロだからこそ分からないのかもしれない。
そしてその意味不明な感情、欲動は、悟飯がピッコロに対してぶつけてくる波動に、少し似通っているように思えた。
無言で岩陰に沿って浮上したピッコロは、同じく水面から顔を出したベジータに対して問いかけた。
「まず俺から言おう。俺が逃げていた相手は、見ての通り悟飯だ。お前は孫から逃げていたな?異議は認めんぞ。俺は知っているんだ、数日間戦っていた貴様らが、最終的に下半身を擦り・・・」
「あれはカカロットが一方的にやらかしたことだ!断じて俺はイっちゃいない!」
「イ・・・ああ、あの白い、何だったか、ヨーグルト?あれを吐き出す現象か」
ベジータはいい音を立て、苔の生えた岩肌に額をぶつけた。岩に付けた足が滑りかける。この異星人、今日のおやつを口にするのと同じ気安さで言うが、
「悟飯もよく俺が眠っている間に掛けようとするんだが、あんな臭いもん二度とぶっかけられてたまるか。飲み下すのなんざもっとゴメンだ」
こいつ、
「おいピッコロ、まさか悟飯の・・・あいつがソーセージとか言いそうなもんを、どっかに・・・」
生殖方法の違う種の悲しさで、思い切り騙されてもうとっくに魔手に陥っている訳ではあるまいな。そんなベジータに、フ、とピッコロはニヒルな笑いを向ける。そして水中からざぱりと手を持ち上げると、顔を覆った。
「・・・か」
「ああ?」
「突っ込まれてたまるかと言ってるんだーッ!」
がああ、とピッコロは吼えた。音波がベジータの胸の辺りに波紋を描き、遠くまで広がっていく。
「悟飯は俺を何だと思ってやがる!最初は分からなかったがな、神殿に潜り込んでは修行中に服を剥ぐわ食事中にタルタルソース(食用)を投げつけるわ夜いつの間にか服を脱がせてるわ土下座してやらせてくださいとか頼むかと思えば居丈高に押し倒してくるわ!ここまでされれば何をしたいかくらい察するわ!ふざけるな!」
「そうだ!カカロットだって口が利けないくらいヘバった俺の頭に噛み付いてくるし押し倒してやろうとすれば逆にひん剥いてくるしだいたい毎回顔を合わせる度に旨そう旨そうヤバい目で言うのはやめろって言うんだ!」
段々エスカレートしていく主張に、テンションの上がりづらい地球外生命体たちは、感極まった様子で「ベジータ!」「ピッコロ!」と名を呼び合った。彼らと共に戦った戦士が見れば、何か悪いものでも食ったかと心底心配したに違いない。
「カカロットに突っ込むなら、どう考えたって王子たる俺だろうが!そうだろう!」
「ああ、その通りな気がするぞ、ベジータ!」
闘気がごうごうと燃え上がる。二人の間に見えない強固な絆が生まれた瞬間だった。

こうなったらどうやって反撃してやるかだな。とベジータは言った。
「考えてみると、俺たちは常に出遅れている。そこが問題だ」
サイヤ人の王子は、岩の頂上に仁王立ちになっている。彼の足元に佇むピッコロは、周囲を囲む湖、湖を囲う森、それを更に囲む幽山渓谷を眺めながら言った。
「そうだな。いつも後手に回っていたからこそ、受身に回らざるを得なかった」
「ならば攻めに回れば良い。簡単なことだ!」
ピッコロの頭に、ちらりと「冷静になってみれば、俺は悟飯の奇行に振り回されているだけであって、特にやりたい訳ではないような」といった考えが浮かんだが、ベジータの至極生き生きとした演説にその考えは掻き消された。好む好まざるに関わらず、集団の中で生きるよう遺伝子に組み込まれた性がそうさせたのかもしれない。
「クク、ならばセッティングが大事だな」
ベジータは邪悪な笑みを浮かべる。ピッコロが見上げる形になった彼の面は逆光になっているせいか、地球侵略時の素敵なものに戻っているように思えた。
「修行という環境では、今のところ、ものすごく不本意だが・・・圧倒的有利というわけにはいかない。集団戦闘は、己の有利な場所に相手をおびき寄せるところから始まる」
「お前それを知っているなら実践で発揮をしろ」
思わずピッコロは突っ込みを入れた。ベジータはむしろ、己に有利になる状況をことごとく蹴飛ばし、実力だけで勝負するところがある。それは悟空も同じだった。その度に窮地に陥る様を、ピッコロは何度見、感じてきたことか。
「戦いでやってはつまらんではないか」
当然、と顔に書いてある戦闘民族の王子に、何を言っても無駄に違いない。ピッコロは山と詰まれたサイヤ人への苦言を箱に詰め蓋をした。
「なら、誘い出すか」
「そうしよう」
くい、とベジータは顎を振った。
ピッコロは目を据わらせる。
「・・・おい、俺か」
「当然だ。司令官はこのベジータ様だ」
「・・・・・・」
長い沈黙を置いたピッコロだったが、鼻で笑うと中空に飛び出した。いつもの通りベジータを見下ろすと、
「まあ、貴様が行ったのでは、捕まって帰れんかも知れないからな。ここは俺が行くとしよう。どこに誘き寄せればいいんだ?」
「フフフ。この場合、奴らの戦闘力を思い切り削ぐ必要性がある。地球人に無闇に優しくしたがる習性を利用するんだ」
そうして、ベジータは自信満々に、

「ら」
「ラブホテルぅ!?」
「でかい声を出すなッ!」
ピッコロが標的を見つけ出すのは、思ったよりも早かった。悟飯と悟空は仲良く、湖の付近の獣道で道草を食っていた。彼らの反復する声に、山鳥が迷惑げにばさばさと飛び立った。
「・・・しかし、やはり孫もいたか・・・」
「何か言ったか?ピッコロ」
「いや何も。何度も言わせるな。来るのか来ないのかはっきりしろ」
「そりゃ、街中のつぶれたラブホテルで暴れてる奴がいて、ベジータ一人じゃ無理だってのは、分かったけどよ」
悟空はぺろりと親指の腹を舐めた。どうも、群生しているブルーベリーの果実を食べていたらしい。仄かに赤みを刷いている若い実も遠慮なしだったのだろう。
「あいつも周り壊さねえようになったのかあ」
「まあな。お前たちも、くれぐれも超化するんじゃないぞ。スラムに近い場所だ。家と家の間など無いようなもんだからな」
「ピッコロさん」
思慮深げに顔を俯けていた悟飯が発言した。悟空は騙せても元弟子を口車に乗せるのは難しい、何と言っても頭がいいのだから、と信じ込んでいるピッコロは、内心ひとすじの冷や汗を垂らした。
「ど、どうした?」
「もう一回言ってください」
「不審な点でもあったか」
「違います。もう一度、一緒にラブホテルに来て欲しいって、言ってください」
悟飯は思い切り眦を吊り上げていた。潜在能力をミラクル全開パワーにした状態の悟飯だ。嵐でも通ったかのように、木々がしなっている。悟空が慌ててまだ実の生っているブルーベリーの木に噛り付いている。
「・・・悟飯?」
「さあ、俺の足元に平伏して、ラブホのベッドで思う存分めちゃくちゃにして、って言ってくださいピッコロさん!」
「お前は話の趣旨を理解する努力をしやがれーッ!」
ピッコロはじりじりと近寄ってくる悟飯に向け、魔貫光殺砲を繰り出した。ぺし、と究極戦士状態の悟飯はくるくるした光を裏拳で払った。
「で?」
「・・・孫。息子の教育はきちんとしろ」
「んー?やー、悟飯はおめえの教育が良かったんだろ。頭いいし」
「くそ・・・こうなったら、悟飯!」
ベジータに授けられた策を使うのはこの時、と判断したピッコロは、悟飯を手招く。文字通り飛んできた悟飯が腰に手を回し、顎を掴むのに全力で抵抗しながら、ピッコロは押し殺した声で囁いた。
「そのラブホテルとやらに行ったら、「おまえのすきなたいいで、ぬかずにさんぱつあいてしてやる」」
「――ッッ!」
「ご、悟飯!?」
形容し難い奇声を発し、口許を抑えて脱兎のごとく逃げ出した悟飯を、ピッコロは唖然として眺めていたが、やがてほっとしたように肩を落とした。心なしか耳が力をなくしている。
「ベジータも良い呪文を知っているな。今度からこれを使おう」
「二度目は使えねえと思うぜ、ピッコロ」
いつの間に木の実を食い尽くしたのか。悟空は口の周りを紫に染めている。そして、じゃ、行くか、と腹の辺りを擦りながら言った。まだ腹は減っているらしく、なかなか大きな腹の虫が我侭を叫んでいる音がした。



日が落ちてから合流することを、孫親子と約束したピッコロは、ベジータに首尾を伝えた。人気のない、一見するとただのコテージのように見える「ラブホテル」すなわち決戦会場でのことである。ラブホテルというよりは連れ込み宿に近いつくりの建物は、しかし内部はえげつないほどにピンクの空間だった。周囲が鏡張りの回転式ベッドやら、丸見えのシャワールームやら、訳の分からない体位補助用の器具やらを不可解そうな眼差しで眺めながら、しかし、とピッコロは言う。
「よくルンペンがいないな」
「俺が追い出したからな」
立派だったのは数ヶ月前のこと。親会社が倒産したこのあはんな宿は、スラムが近いせいもあり、色々な人間が入れ替わり立ち替わりやって来るようになっていた。人の生活していた気配がある。ピッコロは物珍しげに打ち捨てられ萎れた風船を眺めた。壊れた窓や空き缶は、荒んだ雰囲気をかもし出している。むしろもう、幽霊でも出そうな気配だ。
「貴様、この薄汚い空間、綺麗に出来るんだろう?こんなシーツじゃやる気にならん」
「やる気以前に、どうやってあいつらを押さえ込むんだ?周りが雑居ビル群じゃ超化はしないかも知れんが、それでも厄介なことには変わりない」
ベジータの唯我独尊っぷりを諌める気にもならず、ピッコロはため息と共に問いかけた。プロレスごっこは御免だった。先日落し物を拾って欲しいと悟飯に請われ四つ這いになったところで、後ろから抱きすくめられ、なんだか熱くて硬いものを臀部に押し付けられたのは、ピッコロのトラウマになっている。ベジータと悟空とは違い、ピッコロと悟飯の力量差は少し物悲しくなるほどある状態なのだ。
「真正面からかかれと言うなら、俺は降りるぞ」
「まあ待て待て」
ベジータはベッドの上に土足で飛び上がる。流石に二対一、しかも、大好きなお師匠様に逃げられた息子をサポートにつけた悟空では、相手が悪すぎる。ベジータは、長めの紐をポケットから取り出し、プレゼンを始めた。
「ふふん。俺様が何もしないと思うか。見ろ、これはサイヤ人の戦闘服に使われる生地を、紐状にしたものだ」
伸縮性と防御性に定評のある素材は、気の放てない状態ならば十分役に立つことだろう。
猫の首に鈴をつけるための策は、こうだ。
まずあらかじめ床に穴を開けておく。これは既に入り口からエレベータへと繋がる狭い通路に開けてある。自軍は穴の前方に配置し、あらかじめ穴が敵には見えないようにしておく。そして、目くらましの閃光弾を三つほど投げ込む。これだけあれば太陽拳には及ばないものの、一、二秒は視界を奪えるだろう。自軍は敵が視力を失っている間に気を消し、後方へ回る。奴らが未だ戦闘不能ならばその隙に縛り上げるもよし。すぐに見えるようになってしまったときは、床の穴が心理的効果を発揮する。奴らは穴の淵へと屈み込むに違いない。そうすれば押さえ込むのは容易なことだ。
「どうだ、完璧だろうが!」
ハーッハッハッハッ。
その笑いはやはり、朗らかさ五十パーセント、邪悪さ五十パーセントの割合でブレンドされていた。
「ハハ・・・は?」
ベジータのご機嫌な笑いを背に、地道にお部屋の掃除をピッピッとやっていたピッコロは、ちりとりに有象無象のごみを掃きいれたところで、相方の異常に気が付く。気付くと同時に、不安になった。
「何をしているんだベジータ」
「いや、今・・・妙な気が」
ベジータはピッコロの背に回り、油断なく辺りを窺っている。
そのとき、いきなりディスプレイを壊されていたテレビから、女の嬌声がぬるぬると滑り出してきた。雑音の混じる色味のある声は、音量が波のように上がり下がりし、到底欲情をかきたてるなどしようはずもない。
パン、パン、と、開け放たれた扉の向こう、狭い廊下から手を叩くような音が、彼らの個室にまで響く。
「ラップ音という奴か、これは。聞いたのは初めてだが」
「へ、平然としているな、ピッコロ」
「死者の怨みに怯えるような、可愛らしい性格はお互いしちゃいないだろう。だいたい論理的にいえば、死者は閻魔大王の下に・・・ああ、魔族に殺された者は宙を漂い続けるんだったか」
ピッコロが遠い目をする中、腹いせとばかりにちりとりを気で消滅させたベジータは唸った。
「死んだ奴はどうでもいい。ただ、攻撃が通用しないのは、やり辛くて仕方がないんだ!」
文字通りシャドウボクシングをするベジータには、何か見えているのだろうか。ピッコロは胡乱げな眼差しになる。
「で、戦況はどうだ?」
「知らん。でも確かこの間、悟飯が俺の周りに霊が見えるから御祓いをしてやる、とか言いやがって、妙な壷を置いて行きやがったから、俺の近くには寄ってこないはずなんだが」
そういえば悟飯は今心理学のレポートでてこずっていると言っていたな、とピッコロは更に遠い目になった。
「何だその目は!言っておくがな、俺は幽霊族の星を奪ったことがあるんだぞ。奴らは塩を掛けないと実体化しない恐ろしい奴らでな」
「それはこの地球の霊とは違うんじゃないか、ベジータ・・・」
駄弁っている間にも、扉が思い切りバターンと閉まったり、建物自体が揺れ、パラパラと真新しくなったシーツやカーペットに埃が落ちてきたりと霊的現象は続いている。ベジータは吼えた。
「貴様、分かっていないようだな!あの幽霊共がどれだけ手に負えないかと言えばだな、ガキだった悟飯がスーパーサイヤ人の壁を更に越えた姿と、今の悟飯が限界突破した姿が、前門と後門を塞いでいるようなもんなんだぞ!」
どこかで小さく、上の口と下の口!?と声が聞こえたような気がしたが、ピッコロの幻聴だったに違いない。ベジータのたとえは覿面で、ピッコロは見る間に顔色を悪くする。震えを感じ取ったベジータは、フ、とニヒルに笑った。
「恐ろしいだろう」
「ああ、恐ろしいな・・・穴を掘ってでも逃亡を企てたくなる」
「奴らは穴を掘ろうが空を飛ぼうが関係ないぞ。どこまでも追ってくるからな」
「済まなかった、ベジータ。俺は全く分かっていなかった・・・」
背中合わせに、彼らが間違った絆をまたひとつ強固にする。激しく平衡感覚が狂う揺れにも負けず、二人は油断なく辺りを窺った。
「さ、さて、どうするか」
「ピッコロ、窓の鎧戸を破壊しろ。まずは外に逃げることが、せ、」
先決だ、と言いかけたベジータが言葉を噛んだ。ついでに舌も噛んだ。天地が逆さまになったのが瞬時に分かるのは、ピッコロ、ベジータ共に優秀な戦士である証だろう。屋外から聞こえる凄まじい轟音と共に、蝋燭を模した電灯が無数に付いたシャンデリアの傍に着地すると、逆さまになったベッドの四つ足を認め、ピッコロは眉間に皺を寄せる。
「そうだな。ともかくこの幽霊屋敷から逃げるぞ、ベジータ」
そして、本日二度目の魔貫光殺砲を溜めなしで放った。
木材の打ちつけられたガラスの窓と、鎧戸を紙切れよりも容易く貫いた光。その向こうに広がるのは、陽の光の差し込まないスラム街、では、なかった。
石榴色の夕暮れ。
二人の頬にべっとりと、赤い断末魔にも似た陽光が張り付く。
微かに聞こえる音は、波音だろう。風が通る度に建物自体が微かに揺れる。おそるおそるピッコロは窓の下を覗くと、くるりとベジータを振り返った。後ろ手によって、窓が元通りに修復される。その手は微かに震えていた。沈黙を守るピッコロに耐え切れず、ベジータもまた震える声で問いかける。
「ど、どうした、外はどうなっていた。幽霊でも群れていたのか」
「ベベベジータ、ともかくその紐を燃やせ、そして超化しろ、どこまで抵抗できるか分からんが、二手に分かれて逃げるところまで逃げるぞ」
「それは、どういう」
ベジータが足元のサイヤ人戦闘服再利用の特性紐を踏みつけると同時に、彼の隣を疾風のようにピッコロが掠めていった。
そして、その一瞬後。
厳重に固められた窓から、にゅうと白い腕が突き出た。

その後のベジータを、ピッコロは知らない。
ピッコロの行方もまた、ベジータは知らなかった。




 
つづきます