たすけてティーチャー


魔女が煮炊きでも初めそうな薄暗がりで、トカゲのようにこそこそと隅から隅へと渡り歩く影があった。
その影は戸棚や机の引き出しを片端から用心深く開け始める。どうやら家捜しをしているようだった。用心深い性質であるのか、慣れているのか。彼は手袋を嵌めていた。
やがて小さな叫びと共に持ち上げられるのは、一冊のノート。窓から差し込む星明りを頼りに紙を捲りながら、彼はすっとサングラスを取り去った。現れたのは、闇にも目立つけったいな装束に負けてしまう、飾り気のない青年の顔だった。この部屋の主の不在の原因、孫悟飯の面に間違いない。その指が、おそるおそる紙に押し付けられ、ピッコロの記した流麗な文字を辿り始めた。

・・・

ケース1

あるとき悟飯が言った。俺の膝ほどしか背がなかったということは、つまり幼少の頃だろう。あれは、長かった黒い髪を強い波動に靡かせながら言った。
「ピッコロさんピッコロさん」
「何だ悟飯」
「僕えらい学者さんになりたいんですけど、実はあんまり正確な方向性が分からないんです」
思い出してきた。そう、場所は草一本生えない赤土の地層の上。フリーザとコルド大王がリベンジに来た丁度その時だ。
悟飯の将来の話が出ると、どうも俺は強く出られずに口をつぐんでしまう。一年間、この優しく賢い子供の時間を、仕方ないとはいえ奪った負い目だろうか。思考の端で、ドガーンだのドゴーンだのお馴染みのSEが聞こえた気がしたが、俺は思考を纏めている様子の悟飯をそっと見守った。
「ちょ、おい、今変な子がいきなりフリーザを真っ二つにしたんだけど、見てた?」
クリリンの言葉に俺は少し思案する。
「見ているわけないだろう。少し待て。今悟飯が、自分の方向性について考えているところだ。戦況が危うくなったら手助けするが、今は大丈夫だろう」
クリリンは二、三回口を開閉した後、ぺしんと己の頭を叩き、あのピッコロが、なんかおかしい方向に更正しちまった、と言って少しだけ泣いた。何に感動したのかよく分からない。
「あ、なんとなく見えてきました、ピッコロさん!」
喜ばしいことだ。白桃が色付くように頬を上気させた悟飯は、俺の胴回りを指差す。
「ちょっとその帯を解いてもらえませんか?それで、胴衣の上を持って、お腹から胸を見せてください」
辺りが剣がどうのこうのとやかましいので、俺は悟飯を連れて少し場所を離れる。そして、するりと青の帯を解くと、悟飯に言われるがままに渡した。それからぐっと布を持ち上げる。良く見えないから膝を付いてください、と再び請われ、俺は視界を下げる。珍しく、悟飯とまっすぐに目が合った。
ふっくらとした桜色の唇を、悟飯はにっこりと笑わせた。
「僕お医者さんもいいなあ、って思ったんです。博士号を取ったら学者さんです。あ、これ、咥えてください」
距離でも測るつもりなのだろうかと推測し、俺は差し出される帯の端を眺めた。そして顔をうつむけ、唇で挟み、持ち上げる。悟飯が真ん中よりこちら側を持っているせいか、ぴんと布が張り詰め、結構厳しい上目遣いで悟飯の表情を窺うことになった。
悟飯は、鬼灯のように顔を真っ赤にしていた。口の色などピンクを通り越して血の色だ。孫家が獣の生肉を喰らったときのことを俺は何故か思い出していた。地球人はなかなかシュールな真似をすることがある。
血が滴りそうな唇で、悟飯は言った。息が荒い。
「ピッコロさん、さ、触っても、いいですか」
「む」
布を咥えているので喋ることが出来ないので、俺は鷹揚に軽く頷いた。医学では実地訓練が大切だと聞く。自己修復能力のない地球人は、病根を取り除くのに刃で切ったり針で縫ったりする必要があるらしい。それには、体組織の勉強が必要なのだろう。幸い俺の体は、内臓の位置なんかは地球人と似通っているようだ。筋肉の付き方もそう異なってはいない。
多少切り刻んでも構わんぞ、と言いかけたところで、遠慮がちな声が掛かった。
「あの・・・すみません・・・」
声の主は、藤色の髪の見たことがない青年だった。彼は「うわー話には聞いてたけど見ちゃったー」と呟きながら、こっそりと岩陰から顔を出している。
「・・・なんですか?」
「すみません、主に悟飯さん。ついでに、ピッコロさん。あのですね、悟空さんが三年後に人造人間が来る場所のこと、ぜんぜん覚えてくれないみたいなんで、代わりに覚えてもらえませんか」
「ええ、いいところなのに」
あからさまに不機嫌な顔で悟飯が口を尖らせる。あまつさえ舌打ちをした気がするのだが、他人の気持ちを人一倍慮る能力がある悟飯のことだ、俺の聞き間違いだろう。俺は布を吐き捨てると、立ち上がってこちらを窺う青年へと足を踏み出した。
「孫がそれでは仕方ない。ここは俺が・・・」
「駄目、これは咥えててください、むしろ、咥えてくださいピッコロさんっ!」
ずる、と腰の辺りが涼しくなった。見なくても分かる、帯を解いていたから、悟飯がしがみついたせいで下衣が落ちたに決まっている。上げようと腕を動かしかけたところで、悟飯の絶叫が上がった。何故か俺を通り越して、悟飯の気が前方へと放たれる。赤土が宙に舞った。
「うわーっ!僕だって見たことないのに!・・・み、見ましたね!」
「見てません見てません僕は見てません、悟飯さんちょっと、なんでそんなちっちゃいのに僕の師匠と同じ・・・いや、それ以上の・・・やめてください、ピッコロさんの写真と手作りの人形で何してたかなんて、僕ほんとに知りませんか・・・ギャー!」
その後、岩山が林立していた付近が真平らになるほどの、衝撃波が辺りを襲ったのだという。俺はその辺りのくだりを覚えていない。一体悟飯の心を何が刺激したのか。敏感な年頃らしいな、これは優しく扱わねば。カプセルコーポのベッドで目を覚まし、何故か気の毒そうな目を色々な奴らから向けられながら、俺は信念を新たにしたのだった。


ケース2

これは悟天が産まれたばかりの頃の話だから、悟飯がまだ十三、四歳の辺りだろう。夜、神殿にやってきた悟飯は、いきなり俺の胸に倒れ込んできた。覚醒していた俺は、闇に輝く金の髪を認めると、どうした、と低く問いかけた。
「眠れないのか」
そして、悟飯の細い腰を両手で持ち上げ脇に退かすと、シーツを捲って隣を空ける。最近とみに夢の世界は悟飯に厳しいらしく、よくこうやって夜半過ぎにこいつはやって来る。母親の腕は弟にかかりきりだ。父親は他界している。祖父がどうだかは知らないが、その辺りを除外すれば、俺くらいしか甘える対象がいないのだろう。微かに胸が軋んだ気になるのはこんな時だ。繊細な感情など持ち合わせているはずもないのに。どうも悟飯の感性が伝染したらしいな、と俺は胸の中で苦笑する。
その悟飯はごそごそとベッドにもぐりこむと、俺の脚の間に足を突っ込んできた。きっと寒いのだろう。長時間風を切れば、いかな壁を越えた超サイヤ人といえど、体は冷える。腕を持ち上げ体を抱くと、やはり氷のように冷え切っていた。
「寒いか」
「心が冷たいです」
「・・・そうか」
「ピッコロさんと裸で抱き合えたらあったまると思うんですけど・・・ほら、雪山でよくやるじゃないですか、人肌と人肌で暖めあうっていう・・・」
悲しい目で悟飯は俺を見る。いや、知らん、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。雪山での恒例行事など俺は知らないが、もしかすると修行以外のレジャースポーツがあるのかもしれない。何が楽しくてわざわざ寒いところにまで行って温まろうとするのか。神の知識に問いかけても、該当の回答は見当たらない。
ただ、裸ですることに関して検索結果が一件。
そして、俺の尻の横辺りを、股に入っていない足が行き来している辺り、これはもしやアレ・・・いやいや、こんな穢れない魂を持つ子供に対してする想像ではない。俺は憤激する。おい神の野郎何教えてくれてやがるんだ。
「すまん悟飯」
「裸になってくれないんですか」
「いや違う、そういう意味ではない。お前に対してあらぬ想像を・・・」
「じゃあなってくれますよね」
暗闇にブルーグリーンの目が光っている。猫のように笑った瞳に、何故か背がぞくりと粟立った。そう、セルだ。セルと戦ったときの悟飯に似ている。髪が完全に逆立ったあの姿、寝転んでいるからかもしれないが、今も金髪は限界にまで尖がっているのではないだろうか?
「ちょっと悟飯、俺は用事が・・・」
本能的に逃げを打つと、悟飯は何故か体を摺り寄せ、甘えるような声で言った。
「お花摘みですか、お供します。何ならお手伝いしましょう」
「いやいや、こう、急に星が見たくなってな。今夜は流星群が良く見られるらしいぞ」
「ロマンチックですね。でも落ちるものなら、ピッコロさんの牡丹がぽとんと落ちるところが見たいです。僕のロマンの極みです」
まずい。訳が分からん。俺はじわじわと強くなる拘束にようやく気付く。悟飯の四肢は徐々に熱を取り戻し、がっちりと俺を絡め取って離さない気のように思われた。ここはひとつ、師匠としての面目を保たねばなるまい。
「悟飯。俺は誰だ」
すぐに答えは返ってきた。
「ピッコロさんは僕のピッコロさんです・・・あはっ、何を言わせるんですか、ピッコロさん!安心してください、もちろん僕もあなたのものです。これってやっぱり、誰がどう見ても相思相愛ですよね」
「あ、いや、俺はお前の師匠であってだな」
「ところでピッコロさん、前から思ってたんですけど、お尻の触り心地いいですね」
さらりと言うから聞き逃しかけたけれども、よく考えれば「前から」の部分に思い起こされる記憶が幾つかあった。
止まれず俺の背中に突撃したときに、尻を鷲掴みにした手だとか。
骨格を知りたいんですと請われ、肉と骨の形を存分に辿っていった唇だとか。
川に入った途端に光速で現れ、一緒に水浴びをした時の、ものすごくガン見してくる視線だとか。
・・・いやいやいや、そんな馬鹿なはずはない。
ただ、その後何故か修行というか掴み合いが始まり、両者一歩も引かず、朝起き出してきたデンデに、思い切り呆れられた顔を見せられたことを思い出すと、流石の俺も少し思うところがある訳だ。
なので、こうして起こったことをノートに書き綴ることにした。
あとはこの内容を、誰かに相談するべきか、だが。悟飯に対して礼を失する行為となりかねないので、人選はきちんとせねばなるまい。相手か。考えてみれば、正しい師弟関係を知っている者というのは、クリリン辺りしかいない、のか。
ただ、俺にも多少の躊躇いがまだ残っている。悟飯の愛情表現が多少おかしいとはいえ、あいつは大事な俺の弟子であり・・・でもあの時師弟といわずあいつは「僕のもの」とか言っていたような・・・ええい、保留だ、保留。俺は保留する。
何もなければ俺は、一生このノートを開くことはないだろう。

追記:最近悟飯の修行に付き合うと、大抵マントとターバンと腰帯が消えている。そしてすぐ消えるものの、体のあちこちが虫に刺されていることが多い。これが問題であるかは、調査中。

・・・

それからも戸惑うような調子を交えつつ、ケースが二十五まで挙げられたところで、几帳面な文字は途切れていた。
暗闇の中、そこまで字面を追い終えた人影は、おもむろに懐から筆記用具を取り出した。そして、書いた。

・・・

ケース二十六

孫悟飯の趣味が悪いと言った貴方、貴方は失礼ですが間違っています。
僕をからかっているのは分かっています。真剣ではないから、だから、このノートの存在を貴方は僕と、同時に僕以外の存在に言ったのでしょう。
一週間くらい前、ブルマさんに僕の過去の所業と、ノートの存在を話しているのを聞いたときには、ブルマさんがコメントをしないようにするのに結構な犠牲を払いました。おかげで僕は三日間肉体労働です。
まあいいんです。でも、僕の記録が誰かに知られ、地球人の常識に照らされると、とても困ってしまうのです。
何故なら、僕は遠大な計画を幼い頃から頭に描いているからです。
だから僕は、お前の奇行は今に始まったもんではないからな、なんていう、貴方の冷たい言葉にも耐えられるのです。でも次の修行はねちねちと甚振ってあげたいと思います。なんて、冗談ですよピッコロさん。やだなあ。
話が逸れました。
では、僕、孫悟飯がどれだけ潔白か、ここに記したいと思います。

ヤムチャさんが金満家の令嬢と恋仲になり、金回りが宜しいということで、ひさびさにこの間、男性陣が集まりましたね。あの時、僕が公衆の面前でピッコロさんにキスをしたのは、記憶に新しいと思います。
でもあれは、ピッコロさんの口許に水滴が付いていたからです。あんなに艶々していたら、間違えて虫が、そう、昆虫の類も哺乳類の類も寄ってきてしまう可能性があります。僕は平和を守るグレートサイヤマンです。いかなる平和も守らなければいけません。だから、あそこでピッコロさんが僕を殴ったのも、あれは誤解です。やましい気持ちなんて、これっぽっちもないのです。僕には純粋な気持ちがあっただけなのですから。
貴方が僕をもう一回殴ろうとした手を掴んで、カーペットの上に押し倒し倒したのは、うん、ただの冗談です。戯れです。好意の表れです。証拠にヤムチャさんだってウパさんだって、喝采を送っていたじゃありませんか。思いっきり酔ってましたけど。まあ、男だらけの飲み会に、そういう余興はあるものなのです。
その次は慰労のためのマッサージでしたっけ。ピッコロさん暴れるんですもん、筋肉を解すのも大変でした。そういえば昔胸とお腹を見せてもらったことはありましたね。あの頃は触れなかった肌に触れられるなんて、感激しました。すべすべで弾力があって、水分をたっぷり含んでいる緑色のところと、少しざらざらしている色の違う部分と。全部堪能してたら、いつの間にか皆帰ってしまっていましたっけ。きっと気を遣ってくれたんですね。もちろん、僕とピッコロさんの麗しい師弟関係のためにです。
そしていよいよ、足です、足。九十パーセント以上体力を削らないと見れない、鉄壁の足を拝もうと、僕は顔に血を上らせて、息切れしながらやめろとか何とか言ってる貴方の足を掴みました。そして言いました。
「嫌よ嫌よも、好きのうちって、知らない訳ないですよね?」
これが悪かったんですね。
ごめんなさい。ちょっと調子に乗りすぎました。謝ります。
あれはですね、そう、宇宙の電波にのっとられちゃったんです。本当の僕はお師匠様の体に欲情とか絶対にしない、清く正しく優しい孫悟飯です。それくらい貴方も知っているはずです。いいえ、貴方だからこそ、知っているはずなのです。
そうでしょう?僕は信じています。貴方が厳しい顔立ちで、頷きながら読んでいてくれていることを。

これで分かってもらえたと思います。僕の身が、潔白だってことは。
だから、神殿に帰ってきてください。そしてこれを読んで、また僕に無防備に笑いかけてください。
その時は僕も、貴方の望む姿で、貴方に笑顔を返したいと思います。

・・・

悟飯はノートを閉じると、机の真ん中にきちんと置いた。窓の外を見ると、薄っすらと明るさを帯び始めている。さて、そろそろ行くか。悟飯は帰り支度を始めた。グレートサイヤマンの衣装のポケットに、畳んであったピッコロの胴衣を詰め込む。これは悟飯の助言の賜物だ。一つのものを何回も使うのが、いいことなんです、と悟飯は力説した。そうすれば個人の匂いが付く。体臭のほぼないピッコロに期待するのは愚かかもしれないが、悟飯は期待せずにはいられない。
サングラスを装着すると、彼は唇を半月状に吊り上げた。
ヤムチャの食事会で、思わず悟飯が限界突破しかけた事件から数日経った。今でも神殿に帰っていないピッコロは、朝までは確実に帰らないのだろう。ノートという罠を仕掛け、悟飯は満足げに家に戻ることにした。もしピッコロがこれを見れば、すんなりと騙されてくれるだろう。
なんといっても、世界中で誰よりも素敵なお師匠様だ。
不幸なのは、悟飯の中身が、誰よりも従順なお弟子でなかったということか。
「さあて、グレートサイヤマンは平和を守りに学校に行こうかな・・・ピッコロさんの心の平和は、守れそうにないけど」
くすりと笑うと、悟飯は音と視線をシャットアウトするドアのない出入り口から、靴音ひとつさせず出て行った。
そのうち、ここにもドアを付けて貰わなければならない時が来る。

 

fin
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リクエストありがとうございました!
あれえお弟子が間違った方向に脳味噌を使用している気がする!
師匠も頭脳派なんですが弟子を相手取るともう駄目ですね。弟子馬鹿BANZAI!

リクエスト内容は

周囲の誰が見ても「お前それ絶対エロい目に逢ってるよね!?」と認識されつつも
弟子可愛さに目が眩んで「悟飯に限ってまさか」状態の師匠と、
口八丁手八丁で師匠を騙してやりたい放題の弟子

でございました。拙いお笑いですが楽しんでいただけたら嬉しいです。
たぶんピッコロさんの次にかわいそうなのはヤムチャです。同率で未来トランクス氏。