こうふくとしがらみ



悟天→ピッコロ/昔は悟飯→ピッコロ/泥沼





誰もが競って肌を見せあう季節のことだった。都会の肌の上に乗るカラフルな布の眩しさをよそに、悟飯の庭は緑一色が存在を主張していた。といっても、室内で温度湿度品種を完璧にコントロールしている訳ではない、いささか時代遅れの庭では、面白くもないグリーンが目立つのは当然のことだった。
悟飯は千里を見渡すかのような眼差しで、林立する周囲の家屋を見回した。そして焦点を我が庭に定めた。彼自身が主である狭い狭いスペースでは、鳳仙花が茎を張り詰めさせ、向日葵が陽に焦がれるように背を伸ばしていた。向日葵の黄色の花弁はしばしば炎が燃え立つようだと表現される、と、悟飯と大学を共にした画家も己の個展の場でそう説明したが、悟飯はその時悲しむように眼鏡の中の瞳を緩めただけだった。
自身よりも背の高い、二メートルほどの向日葵は、昼を過ぎた今では水分を失い、微かに花弁を萎れさせている。
たかが悟飯よりも少しだけ、太陽に近付いただけだというのに。
悟飯は己の短い黒髪を撫でた。昔は異常なほどの速度で伸びた髪だ。今では諦めたかのように、ごく普通に生え、抜けるようになった。壁に囲まれた家の中で、地に足をつけて毎日暮らしているうちに、本能も喚いても無駄だと知ったのだろう。
そういえば最近空を舞ったのはいつだったか、と悟飯は考えた。雲を突き抜けるあの爽やかさを頬に感じたのは、何年と何日前だっただろうか。
ひょっこりと父親そっくりの面差しの弟、悟天が案内も請わずに顔を見せたのは、悟飯がそんな些細な問題を、されど深刻に想起している時のことだった。

悟天は浮かれているようだった。お調子者の青年はいつも自分にとっての楽しいことに気を取られているから、近親者はそれが彼の常態であると知っていた。中に入れと促す悟飯に首を振って見せると、こざっぱりとした、しかし今流行のベストとパンツ、靴を揃えた悟天は、今貢ぎたい人が居るんだと弾むように喋った
悟飯は呆れた。可愛いに違いない我が弟ながら、この軽佻浮薄な部分だけは頂けないと、常日頃から思う。
「僕にそういうことを聞くのは間違ってるって、一番悟天が知ってるだろう?」
「そっかなあ」
無理やり撫で付けた髪に触れながら、悟天はひょうきんに渋面を作る。憎めないそぶりは末っ子の特権だ。いや、父親だろうか、と悟飯は弟に良く似た、放浪の勇士と呼ぶべき英雄を思い出す。最近、肉親の中で一番に会っていないのが父だ。間違いない。この間出会ったときは、西の宇宙で生まれた銀河系での騒動を治めてきたが、王様になれとか言われて困った困った、と鷹揚に語っていた。戦闘を誰よりも好む、もしかすると誰よりも血に飢えていると誤解されかねない人なのに、誰にでも好かれるのが、孫悟空の英雄たる所以だ。そんなところを、悟天も受け継いでいるように思えた。スケールは小さいけれど。
「ねえ兄ちゃん」
「どうしたんだい」
「俺さ、最近また振られてさ」
またか、と悟飯は空を仰ぐ。レンズ越しの快晴は目に眩しい。
「で、誰だったっけ?オレンジちゃんだっけ?パープルちゃん?こういうこと言うのもなんだけど、ちゃんとゴムは付けるんだぞ」
「大丈夫、クオーターが沢山出来ても困るしさ」
悟天は笑い混じりに言った。話題巧みで、体を使えばどんな分野でも天才的な技能を発揮する悟天は、成長すると共に女の扱いを覚え、出会いも多くなっていった。やり過ぎだ、と眉をしかめたくなる話も少なくない。ただ、この年齢ではむしろ武勇伝であることは間違いないのだった。
「で、また今度もフられたんだ。だから神殿で思いっきり愚痴った。俺はこんなに強いしカッコイイし優しいのに、なんで振られてばっかりなんだろ、って」
神殿?と悟飯が口の中で呟く。どうして、そこで雲の上の、悟飯の思い出がずるずると芋蔓式に掘り出されてくる異郷の名が出てくるのか。全く理解できないと言わんばかりに、温かみをするりと落とした兄へと、悟飯は言った。
「あのひと、最近誰も遊びに来てなかったらしくてさ、俺が行くと顔には出ないけど嬉しそうなんだよね。昔から思ってたけど、結構可愛いとこあるよね、あれでさ」
「お前はそんな話をしに来た訳じゃないだろう」
「そんな話をしに来たんだよ。あのひとは言ったんだ。愛だの恋だのは全く理解できないけど、情愛ならば分かっている。俺はチチオヤが生まれたときからいなかったし、小さい頃から変な戦いに巻き込まれてたから、その辺りが抜けているんだ、だって。なら教えてよ、って俺は言ったよ。あのひとは言うだけ言って困った顔してたけど」
悟飯は想像することが抑えきれなくなる。ひんやりとした神殿の内部、靴音が響く静かな空間で、悟天に説教をする彼。落ち着いた声に含まれた滴るほどの慮る優しさは、甘露のように耳に甘く、心臓に溶け込むかのようだ。ああ。悟飯は弟が目の前に居ることも忘れて呻く。身を捧げても惜しくはないほどの敬愛を向けるが故に、若き日の悟飯はあの声を独占する勇気を持てなかった。その選択は正しいはずだった。
悟飯ではなく、悟天と呼ぶ、普段は引き結ばれた唇。今でも変わらない若々しさを保った姿は、厳しいながらも密やかな懐かしさを纏わせている。そこに、隙がある。待って、と悟飯は想像の中の立ち姿に叫ぶ。
待って、あなたは、そこから動いてはいけないひとでしょう!
「俺さ、兄ちゃん。師弟ごっこはもういいんだ。俺、誰かに従うとか好きじゃないし。めんどくさいこと考えるのも得意じゃないしさ。だいたい、兄ちゃんが失敗したんだからニノテツなんて踏みたくないし」
「・・・」
悟飯の姿は、休日のお父さんの正しい穏やかな、生活臭の滲むものから、全くの無へと変化していた。虚脱、とも言う。いや。悟天の勘は、もう一つの可能性を導き出している。構わず悟天は向日葵に歩み寄り、大きな花を振り仰いだ。その身長差は、きっと神殿に佇むかのひとと、ほとんど同じだ。悟天が手を伸ばす。太い茎は首の骨のようだ。迷わず花と茎の付け根を悟天が握り、引き寄せる。真っ直ぐに伸びていた姿が、傾く。
悟飯は瞬時に温んだ地を蹴っていた。折れそうなほどに長い茎を曲げる手を払い、そのまま宙を舞う。
悟天は空になった手と、重い黄色い花の頭を支えた兄を交互に見た。
「傷がついたら、どうするんだい、悟天」
静かに悟飯は語りかけた。声が生まれた腹の底が、ぐつぐつと煮えくり返っていると、分からない悟天ではない。
やっぱり戦闘態勢だ、と呟いて、悟天は一歩足を引き下げた。腰を落とす。修行を怠けているのはお互い様でも、地力が違うのは悟天も認めるところだ。何と言っても、凄惨で豊富な経験と、技量を教えた師匠の存在は、悟天にはないものだから。
「傷がつくなんて、そんなの自然だよ。人間に育てられたなら、人間に傷付けられてもしょうがないでしょ?優しいとこだけ取るなんてそんなの嘘だ。もっとぐちゃぐちゃになって悩んで苦しんで、それで残ったのが優しさだったら、俺はそういうのが好きだよ。兄ちゃん」
悟天は思う。ひたすら瞑想に耽る白い背中が、何故あんなにも悲しく見えるのか。彼の欲しかったものは地球だったらしい。ならば何か地球と関わって生きていけばいいじゃないか。地球の生き物と触れ合いもせず、毎日毎日ひとりきりで神殿に篭るのはどうしてだろう。誰か周りに居ないと落ち着かない悟天の胸が引き絞られるような、全てを悟りきった顔立ちで、何故異星人は未だ地球に居るのだろう。
「兄ちゃんは凄いよね。英雄ミスターサタンの娘を嫁さんに貰って、偉い学者さんになって、娘も産まれて、お金も困ってないし、いざとなったら暴力で解決だって出来る。でもそれ、ほんとに父ちゃんの子供で、あのひとが大事にしてきた弟子のやんなきゃいけなかったことなの?」
悟飯は薄く口を開け、口蓋の中で舌をひくつかせた。答えられない兄に、悟天は苛立った顔を一瞬だけ見せた。珍しい、攻撃性を含む表情だった。
「あのひとって、何があっても目ぇ逸らさないよね」
空中の兄は、凍えるような視線を間断なく注いでいる。
悟天は確信をする。地球最強である彼は、間違えたのだ。悟天は唇が吊りあがるのを止められない。
「キスしたときもそうだったよ」
ひゅう、と、熱い空気を鋭く吸い上げる音がした。叩きつけるような殺気が、蒸気を発する地面を文字通り抉った。超化した悟天は軽く笑った。
「ご近所さんに見られてもいいの?」
「―何を、したッ!」
「あれ、そんなに頭に血ぃ昇るんだ。じゃあ、したことないんだ?兄ちゃんなら知ってると思ったんだけどな・・・って、うそうそ。分かってるよ。兄ちゃんがあのひとをすっごい好きだった、ってことくらい、見てたからさ、俺。出来ないよね。兄ちゃんは。恋愛分からないって言われちゃさ」
身軽に悟天が飛び上がる。そして黒髪のままの悟飯に接近すると、いつもの冗談の調子で囁いた。
「俺にキスしてもいいよ。あのひとの香りがまだ残ってるかも」
「・・・いくらお前でも、許さないぞ」
「兄ちゃんに許してもらわないといけないんだ?いつから、兄ちゃんのものだったの?違うか、いつまで?」
悟飯は急上昇を仕掛けながら、悟天の襟首を掴む。筋肉が盛り上がり、首には血管が浮き出している。夏の太陽の如くに傲慢でいて熱く、辺りを焼き尽くしかねない気を、しょうがないなあとばかりに悟天が相殺する。相殺しようとして、出来ずに軽い爆発を引き起こした。
「あーあ」
「・・・あのひとが」
その発音は、舌で砂糖菓子を包んだように甘い。
「あのひとが、僕以外の人間に、心から気を許すわけがない、そうじゃないんですか、」
大切な大切な名を叫ぶ声色は、どこまでも青い空に拡散し、薄められ、神の住まう神殿に届くはずもなく。
悟天は兄の襟首を反対に掴み返すと、唸るように笑った。
「なあ兄ちゃん」
それが、兄が愛を語る資格をなくした、一番の証拠になると、悟天は確信していた。
「あの女を選んでくれてありがとうな」
悟飯の瞳が、古くなった卵白のように、力なく拡散した。殺気が溶けるように消えうせる。そのまま悟天の襟首を掴む白い指が解けた。呆然としたまま空中で佇む兄を尻目に、悟天は力強く空気の層を蹴り飛ばし、大空へと舞い上がった。
あれ以上、幾重にも己の手で鎖を巻いた偉大なる兄は、飛ぶことが出来ない。
躁病患者のような痙攣的な笑みが、悟天の喉から断続的に生まれる。きんと鼓膜を圧迫する気圧の変化も何のその、自由な悟天は一路天に浮かぶ孤島へと向かうのだ。
強く、賢く、孤独なひとが、悟天を待ちわびている。
もう一人の強く賢く孤独な存在は、もう豆粒のように小さくなっていた。


END


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あばすさまよりリクエストでした!

リクエスト内容
・黒悟天→ピッコロさん
・悟飯結婚後の時代軸
・シリアスドロドロ
・結婚前の飯→P前提

悟天は都会派悟空=それを歪曲して私のイメージでは、
悟天は悟空が戦闘で発散していた分を女の子に向けているイメージ
があります。そんで悟空と同じく愛を広く振りまくタイプ。
悟天は兄ちゃんが好きだと思いますが、コンプレックスを感じたりはしないのでしょうか。あの兄出来過ぎだろうと思うのですがどうなのでしょうか。特に成長してからは好きだけどコンチクショウな気持ちが芽生えたり芽生えなかったりしないのでしょうか。
さいごのほうの台詞含め、リクエストありがとうございました!