Please!


ピッコロさんは僕の心の中にあった柔らかいものを一生懸命こねて、焼いて、形作ってくれたひとだ。僕は惚れ惚れとオブジェに抱きついて、焦点がぼやけるくらいの距離で目に焼き付ける。まだ小さくて、素朴な、何の変哲もないように見えるそれに、価値があるわけじゃない。それを眺めていると、作ってくれた大きな大きな手が、透けて見えるのが好きだった。

僕はピッコロさんにいろいろなものを教わった。些細な目線の置き方から、食料の効率の良い保存の仕方、言葉の裏に隠された優しさ、それと、育てるものに対しての厳しさまで。ピッコロさんの一挙手一投足が、僕の先生だった。
否定されることは喜びだった。ただ駄目、で終わるわけじゃない。その指摘は、僕を違う方向に走らせるための鞭だった。
僕は走った。走って、走り続けた。怯んでしまったこともあったけれど、ピッコロのさんの背中から後光のように刺した破壊のエネルギーを思い出し、僕は戦場に舞い戻り、戦った。結果、地球は救われた。僕もお父さんも、病院に仲良くお世話になることになったけれど。
僕はまたあの声を聞きたくて、病院で思い出をひとつひとつ、手にとって眺めてみた。そして、心の中を覗いた。
内側に広がる風景は、尻尾に何の疑問もなかった頃と比べると、随分と変わっていた。僕はもう、自分のために泣いたりしない。そして、ピッコロさんに鍛えられたこの心と腕をがむしゃらに動かすことが、地球を守ることだと、心の深いところで納得した。
僕は宇宙に飛び出した。そして、今、ピッコロさんは僕の隣にいる。

「ナメック星は素敵なところでしたね」
「そうか?俺には退屈すぎるように見えたがな」
「へへ、そうかな。でも嬉しいです。僕、ピッコロさんが新しいナメック星に行っちゃうかと思ってました」
草の上に寝転んだピッコロさんの隣に、僕も横になる。自作の胴衣は、お母さんが買った布の残りを貰って、また一から作り直したやつだ。
この胴衣で、地球にやってきたフリーザとそのお父さんをやっとのことで倒したのは、一ヶ月くらい前のこと。皆ボロボロになったけれど、お父さんが八面六臂の活躍をして、僕とピッコロさんも二人で力を合わせたりして、なんとか最後の脅威を撃退したのだった。
もうきっと、地球に悪い奴は来ないだろう。お父さんがこの青い星に流れ着いたことに始まったおはなしは、ここに終わりを見たのだった。
「いい風だなあ・・・」
傾斜のついた牧草地は、風にお辞儀をするように順々に頭を垂れ、また起こしていた。緑の波の中の、緑色のピッコロさんは、気を感じられない人には見つけることは出来なかっただろう。
ピッコロさんは草を一本咥えていた。いつも大人なピッコロさんが子供みたいで、僕は少しだけ笑った。ぎょろりとピッコロさんは目玉だけを動かして僕を見た。
「お前は何故こんなところにいるんだ」
「うーん」
平和になったんだから、学者になるために勉強しろ。そう言ったピッコロさんの横顔を、僕は少し憮然としながら眺める。せっかく、何千キロも飛んで飛んで、やっとのことで見つけたのに。それは確かに僕の勝手だけど。でも、なんだか悲しくなる。
僕はピッコロさんの口から生えていた草を一本頂戴して、唇に挟んだ。息をすぼめた唇から吐くと、かすれた音が上がった。ピッコロさんはびくっと耳を震わせた。
「悟飯」
「あっ、ごめんなさい!ピッコロさん、こういうの嫌いだったっけ・・・」
ピッコロさんは無言で耳を一撫ですると、別に構わんとぶっきらぼうに言った。ごめんなさいと言いながら、僕は尖った耳に目を奪われた。お母さんが昔よく読んでくれた童話の主人公の言葉をなぞりながら、問いかける。
「ねえピッコロさん、どうしてピッコロさんの耳は、そんなに大きいんですか?」
知るか、と即答したピッコロさんの声は、呆れ気味だった。それでも、会話が終わりのような気はしなかった。声は、少し暖かかった。何故だろうか。僕が来て一人じゃなくなって、嬉しくなってくれたからだと思いたい。
「まあ」
ピッコロさんは一度切り捨てたものの、待ち受ける僕の為に、言葉をつないでくれた。
「耳は音を聞くためにあるもんだろうな」
「でもこんな静かなところじゃ、風で草が鳴る音くらいしか聞こえませんよ。それから、夕立の雷鳴とか」
「お前の声が聞こえるだろう」
音を立てて、僕の心の中にあったオブジェが飛び上がった。ことんと落ちて、また震えながら飛び上がる。落ちる。
ことんことんと落ち着きのない動きを繰り返す、ピッコロさんが作った何かは、形を変えようとしていた。
お腹がふわんとくすぐったくなって、僕はピッコロさんに抱きついた。正確に言えば、腕に縋りついた。
「嬉しいです!」
「何だ、おい」
「僕、ピッコロさんのこと、たくさん呼びますね。お耳、大きいから、よく聞こえますよね」
「ああ。聴覚はいいからな。それにお前の声はよく通る。どこに居ようが聞こえるだろう」
「ピッコロさん」
くすくすと笑いが口から零れる。味わうように名前を呼ぶと、ピッコロさんが優しい目で、なんだ、と答えてくれた。何回も呼ぶ僕。答えるピッコロさん。ああ、なんてしあわせなんだろう、と僕は思った。こんなに、ただ聞くだけなら馬鹿馬鹿しいやり取りに、付き合ってくれる。それは、僕が言葉に乗せる感情を、ちょっとでも分かってくれているから。
今、溶けてしまいたいほどに幸せだった。天候さえも僕たちを邪魔をしない。僕とピッコロさんは平和の中に居た。あたたかな日差しは牧草に生き物そのものの匂いを与え、僕たちはその中でくっつきながら、穏やかに眠ったり、言葉を交わしたりした。

僕は知っていたはずなのだ。
この美しい地球は、賢い人たちが、強い人たちがたくさんいる地球は、すばらしいからこそ、波乱も起きるのだと、身を以って知っていた。
分からない。僕はどうするべきだったのか。
あの耳に告げるべき言葉は、平和への感謝ではいけなかったのだろうか。

赤頭巾ちゃんはどうなったんだっけ、と僕はふと思い出していた。
粉塵が口の中に入り、乾いた喉に張り付いて咳が出た。追い出そうとする防衛反応も、湿り気がないのでは苦しいだけだ。ああいっそ、枯れた喉を破壊して新しいものを作ってしまえたらいいのに、と僕は思った。
耳が大きな狼さんは、赤頭巾ちゃんの声を良く聞くために耳を大きくしたんだよ、とおばあちゃんの声で言った。
ピッコロさんは確かに大魔王だった。けれど、お父さんと僕に出会って、僕たちと同じになった。ピッコロさんは確かに僕の身内だった。お父さんでもあり、お母さんでもあり、兄でもあった。そしてそのどれでもなかった。ピッコロさんは僕の師匠であり、心の一部分を形作ってくれた大切なひとだった。
童話の狼のように、簡単に、
そんな、
違う。
違う違う。僕は頭を振る。絡まった長い髪がうっとおしい。後ろで掴むと、根元から手刀でぶつりと切り払った。
無数の髪の毛は、冷たい風に流されていく。瓦礫の山となったかつての集合住宅地に、いくつかは絡まり、いくつかは炎で赤く染まった河に向かって飛んでいくようだった。
「・・・」
僕は口を大きく開けた。恐怖で冷え切ってしまった腹の底から、ひとつしかない名を搾り出そうとした。
声は、出なかった。
怖かったのだ。
僕は、怖かった。
おまえのこえはよくとおる。
深く染み入る声色が、もうきっと聞けないことを僕は知っているのだ。
心臓に手を当てる。
動いているのは、ただの臓器ではない。ピッコロさんが身を以って高く、硬く、聳え立たせてくれた、僕の戦いへ向かう芯の部分だ。もはや手だけではなく、血と肉を以って、抉り、貼り付け、切り刻み、埋めていった、僕だけに与えられたこころというもの。
胴衣を握り締める。粘質の音が立ち、ぱたた、と僕の膝に液体が零れ落ちた。
紫の胴衣に、紫の水滴はよく馴染む。
頬に散った紫の液体は、もう掌に移ってしまった。
「ねえ、返事は、いいですから」
僕は指先を見下ろして言う。
「もう一度だけ、僕を叱り飛ばしてくれませんか」
お前は、駄目だと。それではいけないと。先達がいなくなったこの世界で、悲しいだの恐ろしいだの言っていられるのか。後悔に涙を零すなど、全てをやり終えてからにしたらどうだ、と。
「僕の全部を、」
『どこに居ようが』
口の中に飛び込んできた燻る煙を噛む。鉄骨だけが骸骨ように林立した世界で、僕は汚れもしない白いマントを幻視した。
『聞こえるだろう』
聞こえますか。僕は胴衣に爪を立てる。胸にへばりついた紫に、一本の赤い筋が入る。
この奥の鼓動が聞こえますか。
二度もあなたに救われた、あなたの弟子の生きている音です。
もう既に神が亡く、お父さんすらいない今、死者は正しく去り行くしか道はないというのに。生物として当然の生存の本能をかなぐり捨て、種の保存にすらならない、他種族の子供を生かしたあなた。
好きでした。
心の底から、並ぶものがないほどに、敬愛していました。
でも。
「僕はもう、あなたを模倣しない」
舌が震えた。理性に反して目頭と鼻の付け根が痛み、僕はぐっと愚かな舌に歯を立てる。鮮烈な味が心を静めてくれた。
「こんな痛みを誰かに味合わせるなんて、真っ平だ」
畜生。使ったこともない荒っぽい台詞がすんなりと出た。
もう、体のどこも震えない。足元が振動しているのは、コンクリートの巨大な破片の向こう、河の更に向こう側で、人造人間が暴れているせいだ。白い煙が上がっている。エネルギーが中空で景気良く破裂している。
俺は崩れそうな足場を、蹴り飛ばした。
指に食いつき、赤と紫の混じった血液を舐め取りながら、正確な方向を見定める。
「あなたは、俺の心の中だけに残るでしょう」
幼少の頃に荒っぽく、成長してからは丁寧に、隙間を埋め形を整えられた心の中の何かは、崩れ去るはずもない。ずっと、俺が息の根を止められるまで、この身を支え続けるに違いなかった。
「それでいい」
鋭い瞳を思い浮かべる。その目は、確かにこちらを認めている。
あのひとの体に縋れるのは俺だけの特権で、今それは永遠に変わらぬものへと昇華した。血肉も、心も、信条さえも、もう、誰にも譲らない。
そして俺は喧騒の中に降り立つ。
こちらに気付きもしない、生も死もないがらくたを睨み付ける。
細すぎる腕を憎みながら、高く高く紫に覆われた手を振り上げた。
首元が、とてもさむい。

 

・・・・・


少なくとも正史DBではない、未来トランクスの軸に近いだろう世界の話でした。
悟飯ちゃんをSS2通り越してアルティメットにしすぎているので、純粋な悟飯を、可愛い幼少悟飯を、というアレではじめました。
拍手お礼のはずがこうなりました。
お礼のはずが・・・
この悟飯は厳しい修行の合間に素が出ちゃうひとな気がします。そして食事中に師匠のことを語るのです。
最後にはトランクスを庇いそうな気がします。
そんな未来トランクスが過去に遡って二人を見たらどうだろう。