で、どっちなの?


 


一番心を占める人物と、愛を向ける人物は、同じでなくてもいいんでしょうか。
そんなことをトランクスが言った。雛が餌を求め囀るように喋り立てる生意気なこちらの世界のガキではなく、違う世界のトランクスが、だ。
薄い藤色の髪が、俯いたことによって額に垂れている。目元には深い影が刻まれている。正しい悩める青年の姿であると、俺の中の神の知識が応えた。知るかと一喝すれば、自棄になりかねない、いわゆるお年頃の存在である、とも。
こちらの悟飯も丁度目の前の青年と同じくらいの年、背格好となった。だからその心がいろいろと面倒らしいことは、なんとなしに知っている。
結果俺は、神殿の端で大層憂鬱そうに語り出したトランクスに、目線だけで話の続きを促すことになったのだった。
多少煩わしくはあるが、あちらの悟飯の最初で最後の弟子だ。俺にとっては孫弟子に当たる。死んだ悟飯も、きっと幼いままのトランクスを残して逝くことは苦しい選択だったろう。俺がもっと傍に居てやれば。じりりと不甲斐なさが腹を焼く。
既に戦力にはならなくとも、言葉で導いてやることくらいは出来ただろうに。
「ここの悟飯さんじゃない成長した悟飯さんが」
「ちょっと待て」
年寄りと融合したからだろうか。妙にセンチメンタルな気分になっていたところで、聞き捨てならない台詞が飛び出た。自分の欲望に忠実すぎるサイヤ人たちなので(SS2以前の悟飯除く)突っ込み、解説、総括、一般人代表の台詞(ex「俺たちは〜」から始まる諸々)を一手に引き受けることとなった俺だったが、最近は純血種どもも落ち着いていることだし、そういったスキルもお蔵入りしていたはずだ。
何故今、サイヤ人の血を引く者の中で、一番落ち着いていると思っていたトランクスに熟練の技を披露せねばならんのか。
「・・・トランクス。貴様の世界では、既に悟飯は死んでいるはずだ。お前が戦士の最後の一人であると、あれだけ回想シーンを挟んだくせに馬鹿を言っているんじゃあない」
「ああ、そうか」
俯いていたトランクスは、軽く顔を上げる。そして、ご説明していませんでしたね、僕としたことが、と、利発そうな面差しで言った。いちおう説明する気があるらしい。流石は悟飯の弟子だ。このトランクスの唯一の幸運はそこだろう。一般的に言う、完全無欠の好青年に彼は育った。生育環境が違えば普通ならば性格は異なる。こちらのトランクスがこうなる可能性は、ほぼないと言っていい。外界がどうであれ、根っこの部分がほぼ変わらなかった悟飯が特殊なのだ。
「すみません。言葉が足りませんでした。その悟飯さんは、僕の世界の悟飯さんじゃありません。
実は僕がセルを倒した後に、タイムマシンの改造を母さんが行いまして。テストで僕が再びこちらに来れることになったんです」
トランクスは緊張半分、嬉しさ半分でカプセル型のマシンに乗り込んだのだと言う。そうして戦士の足が踏んだのは、
「僕の世界とも、この世界とも違う、第三の地球でした。全員、ほとんど生きていて」
トランクスは最初驚かれたものの、歓待を受けたのだそうだ。既に魔人ブウを打ち倒した面々は相当に強く、手合わせを要求されたトランクスは真っ先にへばってしまったのだと、眉を歪ませて語った。ほんとうに悔しかったですと。その辺りはベジータの血を引いているのだなと思わせる台詞だ。
「その、違う世界のベジータや孫・・・悟空、悟飯や、その他の奴らもぴんぴんしていたのか」
「ちゃんと地上にいて、皆さん生活を営まれていましたよ。そう、何から話せばいいのか・・・すこし、前置きが長くなりましたが。その世界で僕は良く分からなくなってしまったのです」
最も気に掛ける人物と、愛を持って接する人物が、異なるというのは、不誠実にあたらないのだろうか、と。トランクスは冒頭の台詞を持ち出す。憑かれたように彼は語る。それとも、サイヤ人というのは皆、そういうものなのか。そう作られているのかと。
確かにサイヤ人は皆人工授精で産まれる、性欲よりも食欲と戦闘本能が発達した民族だ。親子の情よりも、実力が勝る民族性を持つ。
「しかし、地球人の間で育まれたサイヤ人は、地球人に近い感情や価値観を持っていると、俺は思うが・・・」
俺は慎重に言葉を選ぶ。心の底では俺にその類の話題を振るなと絶叫しているのだが、どうしようもない。悟飯の弟子に無様な格好は見せられないではないか。多少、俺も俗な地球人の虚栄というやつの影響を受けているらしい。
「何だ。その、つまり、妻のほかに心を傾ける人間が居るのは、宜しくないということか?それは、なんというか、潔癖すぎるのではないか」
今日は神の知識がフル稼働する日だ。確か、地球人は己一人だけを見ていてほしいという独占欲とやらが働く民族らしい。もしそれがいけないことならば、悟空などは極悪人だ。尊敬する師、一番の親友、最も優れたライバル、物分りのいい元宿敵、可愛い子供、愛しいだろう妻。悟空と濃い情を通じ合う相手は、俺の指では数え切れない。
とつとつと語ると、トランクスは首を振った。すとんと重力に従い髪が落ち着く。その向こうでデンデが何やら杖を振っていたので、テレパシーで問題ないことを伝えてやる。
「どういうことだ?」
「こういうことは言い辛いのですが・・・いえ、実は貴方にも関係のあることなのですが・・・」
「遠慮は要らん。さっさと話せ」
「では、話します。こう、肉体的な関係が複数ある、という意味で」
「肉体的!?」
語尾上がりの台詞。これは俺の突込みではない。断じて。なるほど、デンデは来客の意を伝えようとしていたらしい。
俺は石畳を踏んで割り込んできた悟飯に言う。
「何しに来た」
「酷いですピッコロさん、用事がないのに来ちゃ駄目なんですか」
「今は大人の話をしているんだ。子供は中で待っていろ。涼しいぞ」
悟飯は口を尖らせる。鞄を斜め掛けしているから、ハイスクールの帰りなのだろう。友人の誘いを断り、家にも帰らず飛んできたというところだろうか。他愛のないやり取りの中で密かに感じるのは、この神殿に来るという行動の優先順位が高かったことに関しての優越感だろうか。俺は考える。俺は、悟飯の一番を望んでいるのだろうか。まさか。
確かに神と融合するまで、ピッコロ大魔王の子として生を享けたこの身が、最も大切にしていたのが悟飯だった。今だから言えることだ。孫、悟空には敬意に似たものを感じていたから別にするとしても、それ以外の生き物と悟飯との差は、界王神と一ナメック人程度の差が存在したのだ。あまりにも悟飯の存在は大きく、強かった。
「それでも、今でもピッコロさんは、悟飯さんが大好きで、大事でしょう」
静かにこの地球の神が発言した。悟飯の背を眺めていたデンデは、俺を眩しげに振り仰いだ。
「そうして悟飯さんは、ピッコロさんを抱きしめたいと思っていると、聞きました。羨ましいです。肉体的な関係か。接触を基本的には持たないのが、神というものですから」
純粋な笑みを、振り向いた悟飯は直に喰らった。よろめく。まるで太陽拳を直視したかのように踏鞴を踏み、トランクスがそれを支えた。
「しっかりしてください悟飯さん。僕はちゃんと知っています。貴方がピッコロさんを抱きしめたいだけじゃないってことくらい」
「ううう・・・デンデを見てると昨晩の僕が人間じゃないみたいに思えてくる・・・」
「大丈夫ですよ、ピッコロさん」
デンデは爽やかな笑顔を浮かべる。追撃だ、と何故か俺は思った。
「悟飯さんは皆さんに好かれてますけど、悟飯さんが大好きなのは昔からピッコロさんです。あと、悟飯さんが好きなのはお父さんである悟空さんと悟天さんとクリリンさんと」
ぐはあと喀血をした悟飯に涙しながら、トランクスは美形に相応しくない鼻声で神に告げた。
「ありがとうございます神様。本当にありがとうございます。あ、そうだ、大変恐縮ながら、もう少ししたらみんなでお茶がしたいのですが・・・僕の世界のことも、是非神様に知っていただきたいし」
「ほんとうですか」
緑の蕾が綻ぶようにデンデは喜色を露にする。又聞きだったトランクスの奮闘振りを聞けることが純粋に嬉しいようだ。
満身創痍の様子の悟飯は、胸を抑えて体を折り曲げている。心配するほどでもないが、悟飯の父親は心臓病を患った。俺は慎重に声を掛けた。
「おい、悟飯。どこか痛むのか」
「強いて言うなら僕の息子が縮まりました」
「息子・・・?縮まるってお前結婚もしてな・・・おい、もしや若気の至りというアレか」
性欲の赴くままに若い二人が性交渉をして命を宿してしまう現象があると聞く。べつに構わん気がするが、地球人には好まれないらしい。
ふうと俺は息を吐き出す。そう考えれば悟飯のしょげた顔にも理由が付く。
「どうにもならないなら、俺に預けても構わんからな」
空気に言葉が乗った途端に、物凄い気が立ち上った。南国風の立派な樹が、悟飯の髪のように重力とさかさまに立ち上がっている。おそろいだな、と背で千切れそうにはためくマントの音を聞きながら上の空で俺は思う。
「ど、どうした悟飯」
「ピッコロさん逃げた方がいいですよ」
トランクスはあくまで動じない。落ち着いているとは思っていたが、ここまで海千山千の貫禄を身に付けている奴ではなかった。一体どんな修行をしたというのか。
「ふふ・・・スーパーサイヤ人になると抑えが効かなくなるのは僕自身実証済みです」
「トランクスさん、最後に聞いていいですか」
「何なりと」
涼しげな顔のトランクスに、悟飯は青とも緑とも付かない凶悪な目を向ける。ただ、気は、俺に真っ直ぐに向けられたままだ。みし、と足元に皹が入る。神殿の底が抜けたら困るな、と一瞬思考が駆けた。神が神殿をリフォーム中で、どこかに居候など、格好が付かない。
悟飯は居丈高な声色で問いかけた。
「一体、誰と?」
「それは秘密です。サイヤ人の血が通う人と、とだけ、言っておきましょう」
ならいいです、と悟飯は短く答えた。どうでも、と続く空耳が聞こえたような気がした。
「ピッコロさん、ご要望通り、僕の大事な息子を預けます。大事に扱ってくださいね」
お茶入りましたよー、と明るく響くデンデの声と、悟飯の声は、例えるなら生まれたばかりの幼子と、天下一武道会の覇者ほどの違いがあった。ピッコロさん、と掛けられた声に目だけを動かすと、トランクスがいた。ふわりと宙に浮いたところだった。
「じゃ!」
ウインクをするな。サムズアップをするな。問題を押し付けてさっさとどこへ行く気だ。俺は思いつく限りの罵詈雑言を浴びせたが、肝心の舌が動かない。
「ご・・・ごはん」
「ピッコロさんがまだ僕を好きって、ほんとうですか」
「あ、ああ」
「なら問題ないですね!」
高らかに悟飯は笑った。断じてそれは正義の味方の笑い方ではなかった。哄笑というか興奮を抑えきれない笑いというか。俺の足元だけでなく、今や神殿のあちらこちらが負荷に耐えかね、軋みと亀裂を走らせていた。
だから壊すなというのに。
「make loveしましょう!そう、肉体的な意味で!」
高らかな宣言と共に、悟飯が急接近する。油が切れたような四肢を叱咤し、構えた手指。その一本一本の間から、白いものがぬらりと突き出た。絡みついた悟飯の指は、発熱していた。鼻と鼻がくっつきそうな距離で、父親よりも細面の顔がうっとりと笑んだ。笑みの意味を解析する暇もなく、下唇に悟飯の上唇が触れる。なんとも頼りない感覚があった。むず痒い、柔らかな、心もとない、すぐに壊れてしまいそうな感触だった。
「・・・やわらかいな」
「すぐに硬くなりますから」
悟飯は吊り上がった瞳を細めると、首を傾け今度は食いつくように口付けた。



「違う時間軸なんてそうそう行って帰ってこれるものじゃないんですよねえ」
「よくやったわトランクス」
にこにことブルマがトランクスを褒める。照れくさそうにトランクスは頬を染めた。
「ありがとうございます」
ブルマの研究室の端で、携帯用テレビを眺めながら、ブルマはガッツポーズをする。
トランクスに、ピッコロに相談を持ちかる用のシナリオを渡したのはブルマである。彼女が書いたシナリオは、百パーセント誰からの又聞きでもない、ブルマの頭の中の産物である。つまり全ては天才ブルマ嬢の掌の上、悟飯とピッコロの尻を蹴飛ばす策略だったということだ。
「これで混血が出来るとしたら、万々歳よ。ベジータも孫くんも地球人以外相手にする甲斐性はないみたいだから。あ、言っとくけどこれ、ただの後押しだからね。別にあたしは悟飯くんに何もしちゃいないわよ」
「やっぱり、憧れます」
「誰に?ああ、悟飯くんはそっちだとお師匠さまなんだっけ」
「いえ、なんというか・・・皆にです。貴女にも」
思い合っていて、優しくて、それでいて我を通すふてぶてしさがあって。トランクスは微笑む。
「正直、こっちの僕が羨ましい」
「あら。やっと言ってくれたわね」
きょとんとした顔でトランクスが問い返すと、ブルマはにんまりと笑い、青年を第二玄関に案内した。人気のない駐車場は、トランクスが知らない場所だった。研究員だけのプライベートの場所なのよ、とブルマは秘密を打ち明ける少女のような顔で言った。
「で、トランクスにプレゼント」
どんな機械も玩具のように扱う器用な指が示したのは、一台のエアカー。数秒ほど格好をつけていたブルマは、ぷりぷりと怒って車に近寄り、遮光素材で出来た窓をノックする。
「こら開けなさいよ。打ち合わせしたでしょ」
「お前の下らん遊びに付き合っていられるか」
トランクスは思わず駆け寄っていた。窓の中の助手席には、ベジータがふんぞり返っていた。
「おい、トランクス!」
「はい!」
思わず背筋を正した青年の背から、ブルマが剣を不器用に外している。
「貴様が朝来たから、俺はトレーニングを中断されたんだ。いつまで待たせる気だ。さっさと乗れ!」
「こっちのトランクスは、悟天くんとプールなの。だから私達も海に行きましょ。泳ぐわよー!」
さあ乗った乗ったとばかりに車に押し込まれたトランクスは、勢いよく前進した車のGに負け、がくんと首を仰け反らせた。
「あら御免なさい、私運転荒いのよねえ」
「全くいつまで経っても・・・」
ベジータが言葉を切る。彼の目がバックミラーから外されたのを視界の隅で見たブルマは、後部座席に声を掛けた。
「トランクス、海の水はしょっぱいわよ。今からそんなんじゃ先が思い遣られちゃうわ」
ひく、と嗚咽が目頭を手で覆った青年の唇から漏れる。
「・・・なんだか・・・俺、一生分のプレゼントをもらった気分です」
「うふふ、さすがあたしね」
「その分、自分がちょっと汚れてしまったのが際立って、胸が痛いです」
「はあ?」
ブルマの遠慮のない語尾上がりの反応に、トランクスは無理に笑顔を作った。
「いや、本当に嬉しいんです。ありがとうございます・・・父さん、母さん」
「やっぱり悟飯くんの教育は良かったらしいわ。私のもだけどね。悟飯くんがしっかり育ったのは、チチさんとピッコロのおかげかしら。悪いけど孫くんじゃないわよね」
トランクスは反射的に上を見上げた。人間の視力では捉えられない場所にある神の神殿に置き去りにしてきた、二人。
ブルマはしゃあしゃあと言う。
「気にしないのよトランクス。誰だって汚れてるもんよ。大丈夫。あたしだってベジータとねえ」
「だあっ!お前はもう少し恥じらいを覚えろ!」
「恥らって欲しいなら他の人にお願いしなさいよ」
違う時空の両親の喧々囂々とした会話を心地よく耳に受け止めながら、彼は幸せそうに微笑む。


数時間後、ブルマとトランクスが波打ち際で真剣に計算式を立てつつ砂城を作り、ベジータが鮫も青ざめる勢いで遠泳をしていたところ、沖合いに凄まじい水柱が立ったのだという。
原因がピッコロの気であることは間違いなかった。
ブルマはトランクスに真剣な顔を向けた。トランクスも、ミニチュアアンコールワットの塔の窓を作っていた手を止める。
「これが前か後かが最大の問題点だわ」
「神の怒りという可能性もありますよ」
「あっちゃあ、あの子のこと忘れてた」
緑色の小さな神は、果たして二人を理解するか、拒否するか。それとも放置するか。
二人は天を見上げた。
ベジータの黒い頭も、時を同じくして空を見上げているようだった。
天は紺碧を氷山の氷で溶かしたような澄んだ色をしていた。強く輝く太陽の光があたたかで眩しくて、トランクスは浮かんでいた額の汗をそっと拭った。
秀でた額を、こどものように泥の線が一本、走った。純粋な遊びで汚れた面は、とても愛らしくブルマの目に映った。きっとベジータも言葉に出来ないけれどそう思うだろうと、彼女は思った。
血が繋がっていなくとも、息子は可愛いものなのだ。
ピッコロもきっとそうに違いないと、ブルマは神の神殿で喚いているだろうお堅い異星人にウインクを投げた。
「ピッコロは悟飯くんを、何だかんだ見捨てられないに決まってるわ」
「少なくとも、肉体関係ばかりある「あの世界」では、ずるずると付き合っていたようでしたね」
砂をいじり始めたトランクスを、ブルマは唖然として見詰めた。ちらりとトランクスは前髪の間から目を上げた。
「まあ、そういうことです。架空の物語が現実にある可能性も、母さんなら確率として受け入れられるでしょう?」
「・・・い、あ、まあ、そうだけど、も」
とんだ未来のひとつもあったもんだわ、と、天才科学者はトランクスに向かって両手を上げる仕草をした。トランクスの端正な面に浮かぶ笑みはミステリアスで、彼の本意を読み取ることは難しかった。

 

おわり

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ブルマとベジータと未来トランクスの関係も好きです。