天上天下 4




ぐったりと弛緩した首を、悟飯が丁寧に撫でている。後ろから抱いた体は予想よりも随分軽かった。力加減を間違えてしまいそうになる心を抑えながら、悟飯は首を引き寄せ、己の口許に寄せる。噛み付くと、埋め込んだままのペニスを拒むように内壁が蠢いた。
最初は狭かった中も、最近では入れっぱなしになっているからか、随分と悟飯に馴染むようになった。最初からこの重量、この太さを包むための鞘だとでも言うように、時に締め上げ時に誘い込む動きを見せる。変化に富んだ内部は未だに悟飯に気を緩めることを許さないが、いくらかは波をやり過ごすことを悟飯は覚えた。それでも、地球人とは違いすぎる感触は残酷なほどの気持ちの良さを悟飯に与える。禁断の麻薬、といった単語が悟飯の頭を回る。いつか、後悔するときが来るのは分かっていた。己の肉体的な何かを壊してしまうかもしれない。
「ピッコロさん、そろそろ起きて」
尖った長い耳に囁く。言葉と共に唇で耳郭をやわらかく挟み、刺激を加える。三点以上弄り回してしまうと、感じやすい体を更に開発された彼は、壊れたように泣き始めてしまうから自制をした。いつまで保てるかは悟飯にも分からないけれど。
「ん、・・・」
ピッコロは薄っすらと瞼を持ち上げる。そして、己が広く足を開いていることと、背後の熱、体内の圧迫感に、すぐに状況を認識したらしい。すぐに白濁で染め上げられていた紫の胴衣が真新しいものに変わり、虫食い穴の開いていたマントが一枚の白布に変わる。ただ、悟飯の触れている部分は気が上手く回らないようで、ぼろぼろのままだった。
「そんなことじゃ、無かったことにはなりませんよ」
何回このやり取りを繰り返しただろう。それでも、仕切りなおすようにピッコロは着衣を真新しいものに変えるのだ。汚れないひとだ、と悟飯は思う。それでこそ、この俺が焦がれるに足りる人だ、とも。
「っう・・・悟飯、俺は、どのくらい・・・」
「俺も少しうとうとしましたし・・・今更時間なんて」
どうでもいいじゃないですか。悟飯は浅く腰を動かしながらピッコロの肩甲骨辺りに犬歯を埋めた。
背筋を反らす動きは、見慣れて尚艶めいている。急造される種を自嘲しながら、悟飯は記憶した弱い場所を刺激して、ピッコロの集中を乱す。
懲りずに異常を見出そうとする、未だに優しく賢い頭。けれど、と硬いようでいて柔らかな体を抱きしめ、悟飯は思う。そんな、お医者様の真似事など望んではいないのだ。
ただ積もり積もった情念だとか、憧れだとか、寂寞だとか、最近生まれた情欲なんかを、余すところなく叩き付けたい。受け止めて欲しい。他の誰にでもなく、やっと手に入れた腕の中の愛しいひとに。
「ねえ、ピッコロさんもおかしいでしょう?体が、俺に反応して、理性じゃどうしようもないんだ」
「く、ふ、嫌だ、離せ・・・!」
「俺もそうです。ずっと貴方と繋がっていたい。どうしよう、貴方の声に、肌に、汗に、中に、全てに俺が喜んでる・・・ずっと、ずっとこうしたかったから」
クウラなどは契機に過ぎなかったのかもしれない、と悟飯自身は考える。強烈な感情が混ぜ合わされた今では、何がいつ飛び込んできたかなんて、分離することは難しいのだ。そう、いつだったか電脳世界で、父親がベジータのパンに塗りつけたたくさんのジャムのように。今となっては、強烈な食欲だけが悟飯の全てだった。
気付いたのは、人としての生殖行動を一通り終えたときのことだった。
地球人は家族を持ち、極めて小さなその家族を守る本能を持つ種だ。悟飯は地球人として生きた。悟飯の望みは、この青い地球でひとつの生き物として成長することだった。一区切りがついたことで、強靭な悟飯の芯が揺らいだのかもしれない。
もう、本能のままに、この手を振るってもいいのではないか。
悟飯の頭の隅で、魔物が囁いた。吹き出す歪な何かと共に映し出されたのは、厳しいピッコロの横顔と、守るように包まれたマントの眩しさ、そして、ベッドに縫い付けた時の、あの淫靡な甘い香り・・・
すべてを思い出した悟飯は、飢餓感に苦しみ、耐えた。そして、己を過信し、生身の肉体の誘惑にいとも簡単に足を滑らせた。もう、出口などは見えない。
「まだ満たされない・・・助けてピッコロさん」
ひくひくと震える下肢を撫でながら、悟飯はうっすらと色を変える耳に唇を押し当てる。
「気持ちいいって、言って」
「ひ、や、めろ、悟飯!」
「俺と交わるのを、光栄だって言ってくれたでしょう。もう素直になってください。ねえ、俺が、いい、って・・・」
呻くように囁きながら、奥の奥にまで性器を突き入れた悟飯は、近付いてくる第三者の気にはっと顔を上げた。
「・・・これは」
同時に顔を跳ね上げたピッコロの気が、あまやかな蜃気楼のようなものから堅牢なものへと変化していく。
また、逃げてしまう。悟飯は抱く腕を強めた。
いつもいつも、何かの契機に彼は悟飯から遠ざかってしまうのだ。
「離して・・・たまるか」
押し潰された低い唸りと共に、掲げられた悟飯の掌から、果てしなくエネルギーが凝縮された光球が放たれた。人の頭ほどのそれは、悟飯の意思の通りに人影を追尾する。踊るような動きに、闖入者が素早く移動していることが見て取れた。
「もしや」
ピッコロが呟いたのと、大きな声が降ってきたのは同時だった。
「いいか!」
耳に懐かしい声色だった。悟飯にとってもピッコロにとっても因縁深い、その少し高音の混じる声の主は、悟飯の光球を超化した勢いで跳ね飛ばす。彼方の島がひとつ、跡形もなく粉砕されるのに、ピッコロが眉間の皺を深めた。
「まったく迷惑な話だぜ・・・おいお前ら、仲良く引き篭もるのはどうでもいいがな、はた迷惑な気を撒き散らすのをどうにかしろ!」
長く逆立った黒髪。小柄な体は背を反らせている。肩を露出するコスチュームが多かったからか、ジャケットを羽織る姿はどこか落ち着きすぎていて違和感があった。
「俺が安眠出来んだろうが」
「何か、あったのか」
背後の腕からはどうしても抜けられないことを知ったのか、もがくのをやめたピッコロが、空へと声を掛ける。怖れの滲む声に、第三者は憮然とした顔になった。
「・・・だから俺が眠れないと言ってる。他の連中が気付く訳もないだろう。俺が悟飯の馬鹿のその気、間違えるはずがあると思うか」
ベジータは、ピッコロと同じく覚えていたのだ。正気を保ちながら、同じ場所にいたのだから。悟飯は瞳を中空に向ける。
「父さんはきっと永久に発症しない」
「だろうな」
鼻を鳴らしたベジータが次に発した言葉は、悟飯とピッコロにとって意外な台詞だった。
「あいつは一つのものに縛られんからな。特に超サイヤ人の壁をひとつ越えた辺りから、磨きがかかった。居場所を作ってぬくぬくとしている俺とは違う。貴様らがどうだかは知らんが、カカロットは二度と欲なんてモノを出さんだろう。欲望は悪くないが、抱えれば囚われる代物だ」
「難しいことを言うようになったんですね、ベジータさん。なら、貴方は安泰です。俺はピッコロさんが居ればそれでいい」
「・・・っ、ぅあ」
「おい、ピッコロ」
ぐ、とターバンを引き下ろし両目を隠した知己を見下ろし、ベジータはふいと目線を逸らした。食い締められた口許と、血の色が上った頬、かたかたと震える手は、間違いなく悪戯をされている証拠だ。悟飯の笑みが最後に映ったのが胸糞悪いとでも言いたげに、早口で問いかける。
「貴様、食われることに違和感はないのか?何故犯されることを受け入れられる?俺はずっと考えているが、貴様がそいつとまともに戦おうとしない理由が分からんのだ」
「・・・知るか、と、は、言えん雰囲気だな・・・答えてやってもいいが、今は、悟飯がまともに戻るまで、気を感じないところに居ろ」
切れ切れの台詞に、ベジータは舌打ちをする。そして、引きちぎる勢いでジャケットを脱ぎ捨てた。皮製の上着は鳥が海面の獲物でも狙うかのように一直線に落ちていく。
「今すぐ聞かせろ。俺の安眠を妨げるのは、トランクスの泣き声とブルマの喚きとカカロットの気だけで間に合っているんだ」
「なるほど」
悟飯は目を細めて笑った。ピッコロの半身にさざなみが走る。粘りつく甘い、仄かに赤黒い気が、純粋な戦闘の透明なものに変化したのだ。金よりも重く強い、例えるならば金剛石の硬さを持つ悟飯の究極の気は、間近で浴びせられれば体に変調をきたすほどの質量を誇る。
「戦う気、か」
「俺はもう戦わん。何かに固執出来るほど、もう若くない。諦めたのか、悟ったのかは知らんがな」
小さくベジータが笑った。それは、昔の彼には決して出来なかっただろう、複雑な微笑だった。
「俺の為の戦いは終わった。あとは、誰かの、何かのために、って奴だ」
彼の手の中で、小さな宝石が揺れた。時たまピッコロの瞳が光の加減で赤く見えるのと同じ色だった。どこかで見た、しかしどこか違う、耳を飾るための宝飾品。究極以上の力を引き出す、神の御業の品だ。
「言っとくが、ずっと同化するつもりはないぞ。終わればすぐに殴って終わらせる」
誰に、と、ベジータは言わない。
「俺はそこのナメック星人とは違って、身も心も捧げつくすなんて真っ平だからな。俺の出した結論はな、ピッコロ。俺は、食おうとすればいくらでも食えるが、不本意ながら食われたら、ギブアンドテイクで相応の借りを返してやっている、ってことだ。考えてみりゃ簡単だった。ガキの頃犯してくれやがった野郎には死を、カカロットにはまあ・・・いくつか借りがあったから蹴りを一発入れてやって、今回は殴る。明快だろう?さて、ピッコロ、貴様はどんな理屈にしたがってるんだかな。大人しくしやがってる時点で、貴様と俺とは随分違う。違うからこそ、面倒だがこんなことを、この俺がする訳だ。随分喋っちまって待ちくたびれただろう。ほら、受け取れ!」
ぽん、とベジータが腕を振り、ポタラが宙を舞った。悟飯とピッコロがくっつき合っている方向ではないのは、一目瞭然だった。落ちれば赤い山肌と同化してしまう小さな宝石を、いきなり現れた人影が、綺麗にキャッチした。
それきり、悟飯は師の顔を見ていない。


「僕は、空高くから世界中を探しました。氷山が氷の粒みたいに、パオズ山が翡翠みたいに見えるところから。でも、あの人はどこにもいない。気を隠しているのか、他の星に行ってしまったのか。もう、限界が近い。お腹が空いて仕方がありません」
サタンは、檻に閉じ込められた熊のようにうろうろと室内を行ったり来たりする悟飯を、部屋の隅から呆然と眺めている。精悍な面が焦りを滲ませる様は、またしてもサタンが見たことのない表情のうちに数えられてしまった。あの、物腰の柔らかな孫悟飯が。苛々と爪を噛んでいる。
「僕はつまり、今と同じような戦闘力だったんでしょう。ずっと究極状態で居れば、そりゃあ気も薄まります。あの二人が合体したら、僕なんか一撃です。本当に一発でしたよ」
繋がったまま脳を揺らされ終わりだった、格好悪いなあ、と頭を掻いた彼は、サタンに目を向けた。
サタンは何も言えない。長い話がこれで終わりだと分かっていても、口を挟めない。挟む余地がない。あまりに、突飛に過ぎる。そう、悟飯の頭の中で作られた物語ではないのかと思ってしまうほどに。
悟飯はことんと首をかしげた。
「山一つくらい壊せば、来てくれるかな・・・でも、動物たちを逃がすのも面倒だな・・・」
「悟飯」
まさかとは思えど、それでも震えが止まらないサタンの耳を、落ち着いた声が冷やす。
「そのくらいにしておけ。ヒーローが心臓発作で死んでは格好が付かん」
緑の根に蓄えられた水が、無機物で埋め尽くされた室内に満ちた。そんな錯覚を、サタンは抱いた。無音。静謐。冷え冷えとした、それでいて有機的な、生命の胎動する気配。
現在の悟飯の蠢くマグマの如き印象と、全く反対の人物が、サタンの隣に立っていた。
すらりとした長身と厳しい顔立ちが印象的な男だった。緑色の肌と、尖った耳も。サタンは荒野と化した地球で彼を見たことがある。悟飯の話の中の中心人物であることも、すぐに理解した。悟飯が口をぽかんと開けたのも、目視する。
「あ・・・」
「長い話に付き合って疲れたんじゃないか。まあ、座るといい」
弟子に目も向けず、長い指を彼は床に向ける。すると、備え付けのゴテゴテとした装飾の付いた椅子とは違う、簡素なスツールがいきなり出現した。サタンは這いずるように椅子に腰掛ける。待っていたように「ピッコロ」は言った。
「いいか。良く聞け。話は大体聞かせてもらった」
「なんで、どうしてピッコロさん。貴方は、僕から逃げたはずです。手に負えない僕を置いて、」
「今の話は・・・黙って聞けよ、今の話は、悟飯の妄想に過ぎん。こいつは少し、勘違いをしている」
「はい?」
何を言ってるんですかピッコロさん、と、悟飯はよろめくようにピッコロに近寄る。止まれ、と鋭い声で鞭打ってから、ピッコロはサタンに向けて語った。
クウラを擁する星と戦ったことは真実だが、妙な空間に取り込まれたなんていうのは妄想に過ぎない。
ピッコロと悟飯が一線を越えた事実もない、と。
「ただ悟飯は、メタルクウラの一匹にひとつだけ、暗示を掛けられた。ウイルスのようなものだ。こいつは厄介でな、地球人の遺伝子を持つものを厭えと、ただそれだけなんだが、悟飯の妻子は地球人だろう。それだけじゃない、悟飯の周囲を固める人間はすべて地球人だ。俺に好意が向くのも仕方ないが、今の現実と幻想の混じった状態だと危険だからな。俺が来たという訳だ」
「嘘です!僕は、はっきりと覚えている!」
悲鳴が上がる。動くな、とピッコロが再度ぴしゃりと言い放った。
サタンは混乱する。一体どちらが口にしているのが真実なのか。悟飯を窺っても、彼も混乱しているらしく、白い顔が青褪めていた。
「そんな・・・ピッコロさん・・・僕は・・・貴方が、忘れられなくて・・・どうしようもないのに・・・これが、妄想だと言うんですか?僕の頭が生み出した幻だって?」
サタンの写真の額縁が揺れ始める。大小大量の金属の額は、見事な不協和音を奏で始めた。壁紙が零れ、あたかも大地震が来たような様相を呈し始める。
「そんなこと、許しませんよ、ピッコロさん」
「人の話は最後まで聞け!」
長い机を真ん中から叩き割り、ピッコロへと伸ばされた手を、彼は手痛く弾き返した。ぱあん、と高い音が立つ。呆然とした悟飯と向かい合うピッコロの手が、微かに痙攣しているのをサタンは見る。痺れているな、と格闘家はぼんやりと思った。
「ミスターサタン、そういう訳だ。悟飯は今、見ての通り錯乱している。こいつは強い。こいつの娘もまあ強いし、ブルマの家に居るベジータやら子供やらを集めれば取り押さえられんこともないだろうが、親戚知人で戦うのを見るのは辛かろう。それに、さっき言った通りこいつは地球人を厭う暗示を掛けられている。どうだ、」
ピッコロは腕組みをして座る英雄を見下ろした。凶悪な牙が光の加減でぎらりと光る。
「俺の言うことを信じるか?」
「うっ」
サタンは逡巡した。確かに悟飯の言葉は、すべてを見聞きしてきたかのように正確だった。それを真実と感じるか、彼の作り出した物語と感じるか、だろう。サタンは手負いの獣じみた顔になった娘婿をちらりと見た。敬愛と欲望と絶望のない交ぜになった彼は、哀れみを誘うに十分だった。二人とも馬鹿のように強いことをサタンは知っている。ええいままよとばかりに、目を閉じて言い放った。
「ワシは・・・ワシは、悟飯君を信じるぞ!」
何を言ってるんだと言わんばかりの顔をするピッコロに、興奮してきたサタンは指を指して激怒をぶつけた。
「何だ、だいたい自分でもおかしいと思ってる悟飯君に、いきなり出てきて勘違いだの何だの、それが師匠の言うことかってんだ!あんたはこんな好男子のどこを見てきたんだ、自分がおかしい可能性だってあるだろう、あんたに焦がれる病気だってことを、信じてやれないほど可愛くないのか・・・ないんですか、ねえ?」
尻すぼみはサタンのお家芸だ。もそもそと口の中に言葉を仕舞ったヒーローの肩は、小さくなっている。対していかつい肩当てを両肩に付けたピッコロは、目を軽く開いていた。どうも驚いているらしい。
「あ、今のは、べつに」
「・・・いや、構わん。流石は俺の見込んだ男だと思っていただけだ。ああ、勘違いさせたなら謝る。俺は誰よりも悟飯を見てきた自信がある。こいつのことは信じている。優しい、一途な奴だってことくらいはな」
す、とピッコロは悟飯に向けて手を差し出す。上向けられた掌に、おそるおそるといった態で悟飯が指先を伸ばす。何故か引き止めたくなり、サタンは生唾と一緒に言葉を飲み込んだ。口を出せない何かが、あった。
「ただ、こいつが正気に戻ったときに、戻る場所がないと困るだろう?だから、口を出しに来たんだ」
俺は悟飯に付き合ってやろうと思う、と、ピッコロは静かに言った。悟飯の妄想が真実だろうと、俺の言うことが正しかろうと、ことを収められるのは俺しかいないと。
重ねられた手と手は、互いに握り合わないまま表面を触れさせているだけで、動こうとしない。
「いつになるかは分からんが、必ず平和の中に悟飯は戻してやる。だからしばらく、悟飯を俺に預けてくれ」
「なんで、ピッコロさん、事実がどうかは知りません、でも僕は貴方に酷いことをしたいと願っているのは確かなんですよ。僕の頭では、今までサタンさんに語っていたことが真実です」
「そうだな」
ピッコロは黒々とした瞳でサタンの目を見詰めた。凶悪な外見に反して、その黒は穏やかで熱を帯びたものが詰まっているように思えた。
「あんたは、悟飯君を・・・」
それきり、上手く言えず黙ってしまった男に、ピッコロは答えた。
「ああ、大丈夫だ」
確信に満ちた台詞に、サタンは首を上下に動かした。ここまで深く重い声を聞かせられてしまっては、只の人間の身に拒否の言葉は出せない。帰る環境は整えるように努力する、という驚くほど誠実な答えに、少しどこかが痛むような顔をピッコロがした。
「・・・あとは悟飯、お前だけだ。お前が、俺の手を取るか」
「後悔、しますよ」
「馬鹿なことをしている自覚はある。あいつらにも散々説教をされた。このまま身を隠せだの何だのと、この俺が、だ。しかしな。俺は、お前を放置して生きていけるほど・・・」
それきり沈黙してしまったピッコロを前に、悟飯はじわじわと気を変化させ始める。手負いの獣の血の匂いを嗅ぎ取れないほど、悟飯の中の戦闘性は薄れていない。いくら噛み跡が治癒してしまっても、悟飯の記憶は叫んでいる。ピッコロからは血の匂いがする。
悟飯の体も覚えている。耳朶を噛んだ時の骨の動きに腰が震えたこと、甘い体液に脳髄までが沸騰するかと思ったこと、死んでしまうんじゃないかと思うくらいの快楽を与える内部のこと。
「・・・僕に嘘を吐いたことも含めて」
「フン。そう思うなら、思っているがいい」
「ええ、そうします」
己が正しいと再確認した悟飯の手が、強く力を込める。ピッコロは、ぐっと握られた手指を一瞥すると、離せとばかりに軽く振った。
廊下に繋がる扉を開く。両側に扉が二つずつ、四つの部屋を横目にした先が、出入り口だった。小さな扉が据えられているところを見ると、裏口だろうことが予想された。
サタンの耳に、去り行く小さな声が転がり込んできた。
「満たされないなら俺が満たしてやる。俺が受け入れる理由は簡単だ。お前の平和を脅かすものを、俺は憎んでいるからだ・・・」
ことんと胸に落ちた言葉を、サタンは不思議と憎むことをしなかった。

 

おわり